美しい日本の住まい
床の間 (前編)
「正月は晴れがましく床の間をしつらえてみたい ----- 野平洋次 ----- 」
正月は寅さん! 渥美清主演「男はつらいよ」で、昭和時代の正月の映画館は盛況だった。全48作でいつも寅さんが旅から帰ってくるのは、東京葛飾柴又の団子屋。店を入ると客用のテーブル席がある。その奥の暖簾をくぐると台所に通じる。土間の台所の上がり框に親しい隣人が座り、茶の間の主人と話が弾む。一家団欒の茶の間にはテレビが置いてあり、襖を隔てて上座敷がある。この正面に床の間・仏壇・箪笥が並んでいる。縁側があって裏庭に続く。
続き間・建具・暖簾がもたらす開放性。座敷・縁側・軒下空間の連続性と日本家屋の形式が考証されている。調度品や服装などに時の流れが映し出される。
正月の団子屋、上座敷の床の間に鏡餅が飾ってある。床の間を背にして一家の主人が座る。日常がごたまぜの居住空間で非日常・ハレの日がデザインされている。
来年の正月公開をめざして、主人公<フーテンの寅>誕生50周年記念「おかえり 寅さん」が制作されるという。はたして団子屋の床の間はどのように変化していることだろう。
そこで、今は新築住宅でしつらえることの少なくなった床の間に、想いを巡らせてみよう。
床の間といえば、私にはこんなことがあった。大仕事が終わった慰労会で、若い幹事がお座敷をセットしてくれた。待合で落ち合って小座敷に通された。そこには掛け軸と生花を飾った小さな床の間のようなものがあった。それを正面から眺める席を私の席と幹事ははからった。そして幹事が床の間を背にする席に座った。案内人が二人を見比べた。
幹事は、部屋の飾りを鑑賞するのに一番いい席ということで、その日の主役で木造建築に興味を持つ私の席を定めたようだ。確かに私は床の間と正対することで、十分にその日の床飾とともに床柱・落掛・床框・地板の木味の取り合わせをしっかりと鑑賞することができた。
宴会がはじまるとまず幹事の席に料理がおかれる。お酒のお酌もまず幹事からということになり幹事の顔がこわばってきた。例え小さな座敷でも上席は床の間の前、主役の席である。その席次に従ってことが運ばれる作法がある。作法は建築デザインから立ち居振舞いに及ぶ。それを違えたのでは元も子もない。
床の間のデザインはさまざまに解釈されて諸説ある。と言うことで何が正統かがわからない。住居ではなおさらで、そもそも床の間で格式ばること自体が時代遅れということだろう。
しかしながら、床の間に季節のものを飾って心地良いことに変わりはない。
格式を守るために床の間をつくるというのは、由緒ある立派な家の話。正面に床と棚、脇には付け書院という形式が重んじられる。そこに使う木材も銘木・珍木が選ばれる。骨董品を愛でるようなものだ。客間として使われ日常生活の場所ではない。それは格式意匠といわれ、連続する開放的な空間に秩序をもたらす。
鉄筋コンクリート造の集合住宅である私の住居に床の間をつくった。狭いながらも小上がりの間をつくり、その端にわづかばかり床の間らしきもの(踏み込み床)をしつらえたのだ。格式は望まないが住まいの重心となる場所が欲しいと思った。のっぺらぼうな感じがしてならなかった住まいにヘソとなるものができた。
一番のこだわりは床柱だった。1本の意味ありげな木がコンクリート造の住まいに存在するだけでよいと思った。これは設計者の紹介で木場まで探しに行った。貯木場の隅に眠っていた北山杉の出絞丸太に足がとまり、なんとか手にいれた。色も頃合いに“古美”ており太過ぎず個性的で気に入った。
旅先で拾ってきた石や貝殻、散歩道で摘んできた季節の草花などを飾りたいと思った床の間は、家族で置き物を選ぶ楽しみの場所となった。いつのまにか溜まってしまった思い出の品も取り出して並べた。それは時の流れの落ち着きを住まいにもたらした。
床の間をしつらえる。しつらいは室礼と書いて、ハレの儀式の日に調度品を整えることを意味する。床の間からその家のハレの意匠が生まれる。正月飾り、ひな祭り、端午の節句などをはじめ折々にそれぞれの家でのしつらえがある。
ハレとケ、ハレがましい特別な日と日常、この振幅を楽しむ生活である。正月はハレがましくしつらえた床の間にしてみたい。
続き間・建具・暖簾がもたらす開放性。座敷・縁側・軒下空間の連続性と日本家屋の形式が考証されている。調度品や服装などに時の流れが映し出される。
正月の団子屋、上座敷の床の間に鏡餅が飾ってある。床の間を背にして一家の主人が座る。日常がごたまぜの居住空間で非日常・ハレの日がデザインされている。
来年の正月公開をめざして、主人公<フーテンの寅>誕生50周年記念「おかえり 寅さん」が制作されるという。はたして団子屋の床の間はどのように変化していることだろう。
そこで、今は新築住宅でしつらえることの少なくなった床の間に、想いを巡らせてみよう。
床の間といえば、私にはこんなことがあった。大仕事が終わった慰労会で、若い幹事がお座敷をセットしてくれた。待合で落ち合って小座敷に通された。そこには掛け軸と生花を飾った小さな床の間のようなものがあった。それを正面から眺める席を私の席と幹事ははからった。そして幹事が床の間を背にする席に座った。案内人が二人を見比べた。
幹事は、部屋の飾りを鑑賞するのに一番いい席ということで、その日の主役で木造建築に興味を持つ私の席を定めたようだ。確かに私は床の間と正対することで、十分にその日の床飾とともに床柱・落掛・床框・地板の木味の取り合わせをしっかりと鑑賞することができた。
宴会がはじまるとまず幹事の席に料理がおかれる。お酒のお酌もまず幹事からということになり幹事の顔がこわばってきた。例え小さな座敷でも上席は床の間の前、主役の席である。その席次に従ってことが運ばれる作法がある。作法は建築デザインから立ち居振舞いに及ぶ。それを違えたのでは元も子もない。
床の間のデザインはさまざまに解釈されて諸説ある。と言うことで何が正統かがわからない。住居ではなおさらで、そもそも床の間で格式ばること自体が時代遅れということだろう。
しかしながら、床の間に季節のものを飾って心地良いことに変わりはない。
格式を守るために床の間をつくるというのは、由緒ある立派な家の話。正面に床と棚、脇には付け書院という形式が重んじられる。そこに使う木材も銘木・珍木が選ばれる。骨董品を愛でるようなものだ。客間として使われ日常生活の場所ではない。それは格式意匠といわれ、連続する開放的な空間に秩序をもたらす。
鉄筋コンクリート造の集合住宅である私の住居に床の間をつくった。狭いながらも小上がりの間をつくり、その端にわづかばかり床の間らしきもの(踏み込み床)をしつらえたのだ。格式は望まないが住まいの重心となる場所が欲しいと思った。のっぺらぼうな感じがしてならなかった住まいにヘソとなるものができた。
一番のこだわりは床柱だった。1本の意味ありげな木がコンクリート造の住まいに存在するだけでよいと思った。これは設計者の紹介で木場まで探しに行った。貯木場の隅に眠っていた北山杉の出絞丸太に足がとまり、なんとか手にいれた。色も頃合いに“古美”ており太過ぎず個性的で気に入った。
旅先で拾ってきた石や貝殻、散歩道で摘んできた季節の草花などを飾りたいと思った床の間は、家族で置き物を選ぶ楽しみの場所となった。いつのまにか溜まってしまった思い出の品も取り出して並べた。それは時の流れの落ち着きを住まいにもたらした。
床の間をしつらえる。しつらいは室礼と書いて、ハレの儀式の日に調度品を整えることを意味する。床の間からその家のハレの意匠が生まれる。正月飾り、ひな祭り、端午の節句などをはじめ折々にそれぞれの家でのしつらえがある。
ハレとケ、ハレがましい特別な日と日常、この振幅を楽しむ生活である。正月はハレがましくしつらえた床の間にしてみたい。
( つづく Copyright © 2019 野平洋次 )
「正月は晴れがましく床の間をしつらえてみたい ----- 望月建築アトリエ 望月 新 ----- 」
正しい家づくり研究会会員の設計した「床の間」事例
「東久留米の家」
住まい手は、お子さんの独立を節目にご夫婦中心の住宅を望まれました。
和室はダイニングの横に配置して、用途に自由度を持たせました。
また床の間は、史家である住まいの季節のしつらえが、
映えるように簡素な設計を心掛けました。
住まい手は、お子さんの独立を節目にご夫婦中心の住宅を望まれました。
和室はダイニングの横に配置して、用途に自由度を持たせました。
また床の間は、史家である住まいの季節のしつらえが、
映えるように簡素な設計を心掛けました。
設計担当:望月建築アトリエ 望月 新