美しい日本の住まい
和風窓 (前編)
「高窓 天窓 ----- 野平洋次 ----- 」
 「屋根と嫁は遠目で決めろ」とは大工棟梁の格言である。近視眼的に大局を決め手はならないといういましめでもある。「家は屋根型に表象される」という建築家・宮脇檀の言葉がある。家を作るには紆余曲折あるがそれは屋根に現れると言うわけだ。
 そもそも日本列島に住む人々は近くの山の木で家を建て、周辺にあるカヤ・アシ(ヨシともいう)・ガマ・稲わら・麦わらなど地域の事情に合わせて材料を調達し屋根を葺いてきた。関東ローム層の地層にある東京近郊の地域では茎の長い麦が育ち良質な屋根葺き材となっていた、と先日その地域に住む高齢者から聞いた。茅葺き屋根の保存運動をしている現代の若者からは、日本列島には30万戸の茅葺きが今あり、大半はトタンなどの金属板で覆っているが、3万戸ほどが茅など草葺きのままで、そのうち3千戸がなんらかの文化財指定を受けている、との情報を得たばかりだ。
 昔あるとき取材先で民家のどっしりとした美しい屋根に出会った。遠目にも大家族の喧騒が聞こえてくるようだった。たどり着いた玄関庭の式台の向こうに座敷が広がっていた。畳を這う風をわずかに感じた。あの畳に寝そべってまどろみたい。座敷で大の字になって天井を見上げながらなんとも言えない安心感につつまれ昼寝をしていた故郷の夏の日を思い出した。
 薄暗い玄関庭から通り庭に入る戸を開けると、天から光が降り注いでいた。見上げると土壁にうがかれた高窓があった。壁の照り返しで屋根裏の小屋組、通り庭におかれた調度品などが見て取れる。あの小さな窓からの明かりでこんなにも屋内が明るくなるのかと感心する。洞窟の中に差し込む一条の明かりの恵みのようにも思えた。
 高窓よりもっと明るいのが天窓だろう。瓦を外してガラスをはめた天窓を見たことがある。ここからの光の束は日時計のように1日の時の流れを屋内にもたらしていた。ガラス窓だから近代に入ってからの仕業だろう。
 窓の構造としては天窓であるが、高窓と同じく形は角窓、操作は嵌め殺し窓、用途は採光と分類できる。
 またある時の取材では、山村農家の大屋根にあるスライド式の天窓を見つけた。雨戸1枚足らずの大きさで屋根材がくり抜かれており、屋根勾配に沿って滑り降りる戸がその穴にしかけてあった。戸の上部に紐がつけられ屋内からその紐を緩めると戸が屋根面をスライドして開口する、紐を引っ張れば戸が閉まるという仕掛けだった。
 この窓は、構造では天窓、形では短冊窓、操作では上げ下げ窓、用途では目くら窓と分類できる。これには引窓という名前があることを文献で知った。「採光通風の十分でない台所などには是非つけたいもの」と昭和6年発行の「住宅の建て方」(主婦之友社)にある。
 天窓・高窓からの強い光があるかと思えば、南向きの家では深い軒先からもたらされるおだやかな明かりがある。この明かりは和紙を貼った障子を閉めることで、さらに部屋が明るく見える。光をコントロールする技は日本家屋の見せ場である。
 組積造や鉄筋コンクリート造の建物の窓と、木造軸組構造の窓とでは自ずと様相が異なるが、近代では和風窓と分類されて、日本趣味の家づくりのアイテムとなっている窓がある。
 大屋根の安定感のもとでの高窓や天窓の工夫は、光と影の演出となって日本家屋に不思議な心地よさをもたらしている。
後編につづくCopyright © 2021 野平洋次 )
「高窓 天窓 ----- 坪井当貴建築設計事務所・一級建築士事務所 坪井当貴 ----- 」
正しい家づくり研究会会員の設計した「宮の坂の家」

 都市住宅を設計するとき、特に注意を要するのは窓の位置。住宅地であっても土地は決して広くはなく、南側からの日照を得ることが難しい場合も少なくない。近隣を気にせず窓を設けてしまえば、お隣の窓と視線が重なってしまったり、また設備機器の音が入ってきたりと窓の役目を果たせなくなることだけは避けたいものだ。
 古来より、日照の取り方は近隣の環境条件によって工夫されてきた。現代においても、日照や通風、プライバシーの確保は設計のテーマのひとつとなっている。世田谷区に計画された住宅の事例をご紹介する。近隣の住宅の壁が迫る敷地条件から高窓と天窓による採光を取り入れて、居室の明るさを確保する共に、プライバシーや防犯にも配慮した設計を行った。

設計担当:坪井当貴建築設計事務所・一級建築士事務所 坪井当貴

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