美しい日本の住まい
畳 (前編)
「霜畳を見てタタミベッドを思う ----- 野平洋次 ----- 」
 春の気配がしてきた。それでも菜園では霜畳が見られる。シンシンと冷え込んだ夜が明けるとカチカチに凍った地面にキラキラと光る朝日を浴びた霜があらわれる。同音を繰り返すオノマトペは畳語ともいうそうだ。
 言葉は文化を運ぶ。海の向こうはイタリア・ボローニャの石畳の道で「布団」の看板を見つけた。1994年2月のことだった。そこは家具の展示販売店。入った店内には障子・行灯・徳利などがある。大きめの2帖の置き畳があり、その前に黒い鼻緒と赤い鼻緒の草履が2束並べてある。畳床にはダブルベットの大きさの布団が敷いてある。敷き布団は濃紺、掛け布団は白。この脇に黒塗りのお膳があり茶碗と朱塗りの箸が置いてあった。
 我々が日本で目にしているものと似て非なる雰囲気ではありながら、ジャポネーゼの品々である。ヨーロッパに「黄金の国ジパング」を伝えたのはイタリア・ヴェネチアのマルコ・ポーロだったことを思い出した。
 クール・ジャパンと言って日本文化が海外に打って出る現代、フランスでは畳は「日本風」の代名詞となり「タタミゼ」はウィキペディアで検索できる。日本からは海外42カ国に畳を輸出している専門店もある。Japanese style room に畳は欠かせない。
 海外駐在の日本人にとって、畳を敷いた部屋は故国の住まいのシンボルで何としても設えてみたいもの、そして客を招いて自慢したいものなのだろう。しかし畳だけではJapanese style roomは完成しないところが悩みの種となる。床の間の室礼も火炉のもてなしも、そう容易にはクール・ジャパンとはならない。
 海外でJapanese styleの設えに日本人がいだく違和感は、海外各地の和風料理店で十分感じることができる。職人技芸・材料・寸法感覚が三位一体となった雰囲気が実現できていないのだ。異国の気候風土の中で「和風」を求めること自体が無理難題なのである。
 また和室を使いこなすにはそれ相応の作法がある。アメリカの日本人が自前の茶室で外国人をもてなすのにバーベキューをやったという話を聞いて、腰を抜かした。
 ところで異邦人にとって畳の部屋はそんなに魅力があるものなのだろうか。
 こんな話がある。1990年代にヨーロッパ某国で日本との文化交流のために建てられた某茶室でのこと、竣工祝いに招かれた彼の国の要人が茶室に入るのに靴を脱ぐことを求められて叫んだ。
「われわれに靴をぬげというのは、ズボンを脱げということと同じ。失礼千万」
 イタリアの古いお屋敷を見学するとき、「靴のまま入ってはダメです」というサインがあった。靴を脱ぐのかと思って周りの様子を伺うと、靴のまま履ける大きなスリッパが置いてあった。靴を脱ぐ必要はなかった。
 日本に住む外国人で苦手なものに和室があるという調査結果がある。調査対象や方法に根拠のない統計だから、そのまま真に受けてはならないが、なるほどと思う。苦手な理由が「靴を脱がなければならないから」ということだったからである。「無理やり靴を脱がされたため、穴の空いた靴下がばれて恥をかいた」という怒りのメッセージもあった。
 日本の文化は本来さまざまな文化の折衷である。日本固有なものを探し訪ねたらインドからギリシャまで行ってしまったということもある。多元的であることを受け止めよう。
 そして畳がクールなジャパンであるかについても思いを馳せよう。
後編につづく Copyright © 2019 野平洋次 )
「霜畳を見てタタミベッドを思う ----- 有限会社みゆき設計 吉川みゆき ----- 」
正しい家づくり研究会会員の設計した「畳の部屋」
「市ヶ谷の二世帯住宅」
 ここは、ご本人、叔母様とご子息様家族5人の住まいです。完全分離の二世帯形式になっています。写真は、叔母様専用リビングとしてお作りした畳のお部屋です。
 「生まれてから92年ずっと純和室で過ごしてきました。畳は好きだけれど今回は和テイストの畳の部屋を作って欲しいです。」とのご要望を受けてお作りしました。
 通常の半分サイズの畳をヘリ無しで作り、いぐさの目の方向を互い違いにして市松模様に見える敷き方にしました。ヘリの無い畳は、カジュアルなイメージになりますので床の間は似合いません。
風流なお施主様には、R型下がり壁を設け、その下に置き床を置いて四季野装飾を楽しめるように工夫しました。ヘリ無し畳と良いバランスではないかと思います。
設計担当:有限会社みゆき設計 吉川みゆき

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