美しい日本の住まい
雨戸 (前編)
「猿と印籠じゃくりと戸袋 ----- 野平洋次 ----- 」
 今年の台風は27個前後で9月頃には本州付近へ接近し上陸の危険性が高まる、とウエザーニューズの長期予報は伝えていた。九州生まれの筆者には、台風の接近とともにあちらこちらの家で雨戸を閉める音が思い出される。
 東京圏に住んでからも、朝な夕なに雨戸を開け閉めする音が近所中に響いていた頃がある。それぞれの家の生活時間がそれで解かった。余りに朝早くパタンパタンと激しい音を立てられるのは迷惑だが、定時に聞こえるどこかの家の雨戸の音で目が覚めるのは、目覚まし時計より心地よかった。
 雨戸を開ける音といえば、建築家中村好文さんは、「意中の建築」(新潮社2005)の中で「戸袋に消える128枚の雨戸」として香川県高松市の栗林公園内にある江戸初期の数奇屋大茶室(掬月亭)をあげている。早朝、この公園に行くと掬月亭の雨戸を開け戸袋にしまうときに発する音が公園に響き渡る。それが聞きたくて早起きをするそうだ。
 現在のような1筋の溝を引き通す雨戸ができたのは江戸時代以降である。それ以前は柱と柱の間に3筋の溝が掘られ、板戸・板戸・障子と3枚の引き戸が建て付けられていた。そして柱の外側に一筋敷居と一筋鴨居が取り付けられ、頑丈な板戸を1列に並べる工夫がうまれた。大工言葉で「一筋(ひとすじ)」といえばこの一筋敷居・一筋鴨居のことである。
 一番最初に戸袋から引き出され溝の一番奥に入る雨戸(戸尻)は、柱など戸当たりとなる部材に突き当たる。この隙間から雨が浸み込む。強盗に戸がはずされる恐れがある。そこで戸当たりに雨戸が食い込む縦溝(戸じゃくり)をつける。戸じゃくりから雨戸の縦框を固定する栓(横猿)が差し込まれる。“猿”が戸締りをするのである。
 さらに戸と戸が接する面には、一方に凹、片方の戸に凸の細工をして合体させる。「印籠じゃくり」である。しかしこれでも正面からの風には耐えても横風には弱い。斜めからの強風で溝から雨戸が持ち上げられ外れて吹き飛ばされる。そこで雨戸を建て込んだ後、下溝に溝押さえを打ち付ける。
 こうして複数の雨戸が一体となり強固な外壁の役割をする。
 雨戸の列で戸袋に一番近い戸(戸先)にも“猿”がいる。戸の桟に取り付けた木片を上下に移動させて、建物の軸部(鴨居や敷居)に掘った穴に差し込んで固定する。揚げ猿は鴨居と、落し猿は敷居と合体する。金属製の雨戸猿も作られている。
 雨戸を締め切ると、風も雨も盗人も寄せ付けない閉鎖的な住居が完成する。
 雨戸はいわば可動な板壁である。7mmもしくは10mmの厚さの雨戸の板が内と外を明確に分ける。このような造りには「雨戸建て」の言葉がある。
 全部の雨戸を引き込む戸袋があってこそ、開放と閉鎖の自在な変身が可能となる。戸袋は単線レールを走って来た列車を格納する車庫のようなものであるが、あまり多くの雨戸を溜め込むと大仰な戸袋になり、使い勝手が悪くなる。  近代建築の巨匠・前川国男の自邸が東京江戸たてもの園に移築されている。1942年竣工の建物で、切り妻大屋根の妻側に大きな開口部があり、障子とガラス戸そして雨戸を取り付けている。この戸袋には蝶番が付けてあり、戸袋が開き戸のように直角に回転し、開口部全面を開放する工夫がしてある。雨戸を閉めるときには戸袋も戸一枚の役割をする。
 開放的なのが日本の住まいであるが、頑丈な雨戸で完全閉鎖できる。開放性と閉鎖性を兼ね備える知恵と工夫に満ちた日本の家づくりがある。
後編につづく Copyright © 2019 野平洋次 )
「猿と印籠じゃくりと戸袋 ----- 望月建築アトリエ 望月 新 ----- 」
正しい家づくり研究会会員の設計した「雨戸のある家」

「母屋と離れの家」
 多摩の郊外に建つ平屋の住まいになります。母屋は田の字型のプランに軒のある大きな寄棟の屋根を掛けました。
住まい手の希望により、南の大きな開口部には、ひと筋レールの5枚の雨戸と戸袋を設けました。
その戸袋がファサードを立体的にし、この建物の表情にもなりました。

 設計担当:望月建築アトリエ 望月 新

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