美しい日本の住まい
ハナレ(離れ) (前編)
「隠居部屋のある暮らし ----- 野平洋次 ----- 」
 少子高齢化の社会が顕在化している。家族のあり方家の継承が住まいづくりでも問われる。美しい日本の家屋も醜い相続争いの種となったのでは浮かばれない。
 一家の戸主としての役割は長男が継ぐ事が決まり事となったのは、江戸時代に入ってからだという。長男が結婚し家督を相続すると、親は隠居することになる。水谷豊のテレビドラマ「無用庵隠居修行」でそのご隠居さんの暮らしぶりを想像することができた。ついでに仮想空間の江戸の町に出てみよう。
 ある商家で引越が始まっている。ご隠居さんが裏長屋へ移り住むのだ。といってもこの長屋の大家さんはご隠居さん当人である。つまり子供と財産分けをして長屋を建て終の住処とした。その長屋には、クマさんハチさん与太郎などの借家人が入ってくる。ご隠居との掛け合いがかまびすしい。お馴染みの落語の世界である。
 場面は四国へ移る。伊予(愛媛県)の内子町に、ハゼの木の実を絞って作る木蝋の製造を生業にした街並みがある。木蝋は和ロウソクの原料である。そのほか木製家具の艶出し、膏薬や口紅の原料としても使われた。江戸時代から大正時代にかけて栄えた。
 この街のある商家に入ると、4畳半と6畳の離れ座敷がある。この座敷は仕舞い部屋・便所・お産の為の部屋が並ぶ別棟であり、渡り廊下で主屋とつながる。さらに風呂場の別棟がある。商家のハナレと主屋の関係がよくわかる。
 一般農家にもハナレのようなものがある。
 陸奥の国(青森)の庄屋の家は、2階に奉公人の部屋があり、その下は馬が6匹も入るるウマヤとなっていた。そこから一番離れた場所に増築した隠居部屋が突き出て南西の角部屋となっている。つの屋造りである。縁側で直接主屋とつながっているが、主屋の喧噪と切り離されて別世界のようなハナレとなる。
 岩手県の山村で面白い風景に出会ったことがある。同じ敷地に大家族で棟を分けて住んでいた。入母屋屋根の風格のある主屋が中心にある。屋敷の左端にある寄せ棟に隠居した親が住む。屋敷の右端にはマンサード屋根(腰折れ屋根)の棟があり、子世代夫婦が住む。これは牛小屋を改装したものだ。里山を背に南面した屋敷構えで、程よい距離を保って3家族が生計をともにしながら住んでいた。
 日本海に面した丹後半島の東にある伊根町では、穏やかな湾に面して舟屋の棟が海に直角にに並らび、その後ろに主屋が横になって並んでいる。舟屋は海から家に入る玄関で、1階は舟の係留場所であり仕事場となっている。2階は居室として使われているが、主屋とハナレの関係である。
 沖縄にもハナレがある。
 屋敷の入り口を入ると主屋のすぐ脇に別棟となった聖なる場所アサギ(隠居所)がある。ここに村の衆が集まっては泣き笑いをし、村内の話に華を咲かせる。フーテンの寅さんもここに身を寄せた。
 いずれも日本の住まいが近代化する前の風景である。
 昭和6年に出された「住宅の建て方」(主婦の友社)に、「老人室すなわち隠居部屋」という項目が見られる。6畳程で便所に近い南向きの奥まった部屋がよい、とされている。やがて隠居部屋は子供が大きくなる頃、子供の部屋に様変わりするという想定である。
 「住む」とは「澄む」ことと習った。清める、明らかになる、いさぎよい、などの意味である。ハナレを構えることで家族関係が澄むことになり保たれる。暮し方の知恵がハナレにある。
後編につづく Copyright © 2019 野平洋次 )
「隠居部屋のあるくらし ----- HAN環境・建築設計事務所 松田毅紀 ----- 」
正しい家づくり研究会会員の設計した「離れのある家」

「鎌倉中央公園の家」
ご夫婦2人が住まわれる小さなコートハウス(中庭のある)住まいです。
家のどこにいても緑の癒しを感じられる様にそれぞれの部屋から中庭の緑が感じられる様に開口の位置等を工夫して設計しています。
リビングのソファで読書をしながら中庭の緑を楽しむ際に奥側に見える壁が、この住まいの「離れ」としての和室です。
この「離れ」としての和室は、玄関を入ってのすぐ横にあり、来客の宿泊する部屋や奥様の趣味の部屋(日舞の練習部屋)として使われています。
いまの住宅街では土地の広さもあり、別棟での「離れ」造るのはなかなか難しいのですが、設計の工夫で家の中でも「離れ」創ることが出来ます。

設計担当:HAN環境・建築設計事務所 松田毅紀

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