美しい日本の住まい
上り口 (後編)
「バリアフリーと上がり框 ----- 野平洋次 ----- 」
住居の変遷を見れば、土間に敷物が置かれ敷物は平床になりさらに高床になる。地盤面と床に段差ができると沓脱ぎ石、敷台、踏段、箱台などが設けられ、上がった床の端には上がり框ができる。
明治時代の家づくりの教科書「普通木工術」(文部省1899)には「床の高さ 地盤より2尺」とある。
住居の床の高さは、1920年市街地建築物法施工規則で「居室の床高は1尺5寸以上」と定められる。1950年制定された建築基準法施行令でも同様に、床の高さは直下の地面からその床の上面まで45cm以上とすること、換気孔を設けねずみの侵入を防ぐための設備をすることが示された。
20世紀末、高齢化社会の到来で住居にある段差が問題となった。福祉住環境コーディネータ(民間資格)の試験で「上がり框」が取り上げられた。筆者も関連授業を受け持った。建築専門外の受験者もいることから、受験対策ではまず専門用語の解説から始まる。「上がり框」とは「玄関や土間において、内と外を分ける段差に取り付けられた横木」というような具合である。福祉環境という観点からは上がり框はバリアとなった。
現行の建築基準法施行令では、居室の床下に防湿を施している場合には床高45cmの制約が解除できる、という但し書きがある。つまりベタ基礎にするなどで玄関の段差は必ずしも必要でなくなった。
上がり框を無くしたバリアフリーの玄関は開放感があり広く見える。たしかにアメリカの郊外住宅のように、芝生の前庭に面した住居の入口のドアをひらけばすぐそこはリビング、という住居になる。靴を脱ぐのは寝室のベッドに上がった時、という欧米風住まい方ができる。 しかし雨の多い日本列島では、玄関での靴脱ぎはそう簡単に変わりそうにない。
上がり框のない玄関では靴を脱ぐ位置がわかりにくい。どこで下履きを上履きに履き替えるか、外出用の靴をスリッパに、スリッパをトイレ用の履物に、庭やベランダにはサンダルでなど、履物を履き替える境界線(履き替え線)と履物の収納は住宅設計の重要な課題である。 その昔、有名建築家が設計した数寄屋を若い建築家と二人で見学する機会があった。案内人に連れられて玄関を入った。艶艶(つやつや)したケヤキの1枚板の式台から床に上がって思わぬところで、さらに2段上った。なぜここに段差がと周囲を見回し考え込んだ筆者に、同伴の建築家はバリアフリーでないからまずいですか?と言い、言外にそんなことに固執しては数寄屋の設計はできませんよ、だから学校の先生は困る、という顔をした。
次の間から座敷に入った。そこに正座してあちこち眺めまわしているうちに、あの2段の段差の意図がわかった。座敷から見る庭の池、灯篭、築山そして借景がちょうどいい高さに設計されていた。心地よい座敷の目線を確保するための階段だったのだ。そう確信して同伴者を見ると、彼は突っ立ったまま天井を眺めていた。
玄関の式台について忘れられない話がもうひとつある。
ある古民家のケヤキの式台がひび割れたので、A棟梁がひびの部分に木片を加工して埋め木細工をした。木彫りの得意な棟梁は備蓄している銘木の木片を取り合わせて、水仙の図柄にして埋めた。その後その家では、式台に腰掛けて埋め木の水仙を愛でながら世間話をするご近所さんが増えた、という話である。
A棟梁は「大工の工は工夫の工」だといい、工夫の余地のない現代の住宅では大工の出番はないと、ひたすら木彫を楽しんでいる。
バリアフリーということで、玄関ではさまざまな工夫が見られる。段差を無くし下履きを履き替える境界で床材料を変えるとか、上がり口に履き替え線を描く床材を段差なく貼るとか、低い上がり框にするとか、段差解消のすり付け板や段差プレートを置いてスロープをつくるとかである。
玄関のあり方を含めて住居の床に上がる「上り口」のデザインには、まだまだ美しい日本の住まいの工夫がありそうだ。
明治時代の家づくりの教科書「普通木工術」(文部省1899)には「床の高さ 地盤より2尺」とある。
住居の床の高さは、1920年市街地建築物法施工規則で「居室の床高は1尺5寸以上」と定められる。1950年制定された建築基準法施行令でも同様に、床の高さは直下の地面からその床の上面まで45cm以上とすること、換気孔を設けねずみの侵入を防ぐための設備をすることが示された。
20世紀末、高齢化社会の到来で住居にある段差が問題となった。福祉住環境コーディネータ(民間資格)の試験で「上がり框」が取り上げられた。筆者も関連授業を受け持った。建築専門外の受験者もいることから、受験対策ではまず専門用語の解説から始まる。「上がり框」とは「玄関や土間において、内と外を分ける段差に取り付けられた横木」というような具合である。福祉環境という観点からは上がり框はバリアとなった。
現行の建築基準法施行令では、居室の床下に防湿を施している場合には床高45cmの制約が解除できる、という但し書きがある。つまりベタ基礎にするなどで玄関の段差は必ずしも必要でなくなった。
上がり框を無くしたバリアフリーの玄関は開放感があり広く見える。たしかにアメリカの郊外住宅のように、芝生の前庭に面した住居の入口のドアをひらけばすぐそこはリビング、という住居になる。靴を脱ぐのは寝室のベッドに上がった時、という欧米風住まい方ができる。 しかし雨の多い日本列島では、玄関での靴脱ぎはそう簡単に変わりそうにない。
上がり框のない玄関では靴を脱ぐ位置がわかりにくい。どこで下履きを上履きに履き替えるか、外出用の靴をスリッパに、スリッパをトイレ用の履物に、庭やベランダにはサンダルでなど、履物を履き替える境界線(履き替え線)と履物の収納は住宅設計の重要な課題である。 その昔、有名建築家が設計した数寄屋を若い建築家と二人で見学する機会があった。案内人に連れられて玄関を入った。艶艶(つやつや)したケヤキの1枚板の式台から床に上がって思わぬところで、さらに2段上った。なぜここに段差がと周囲を見回し考え込んだ筆者に、同伴の建築家はバリアフリーでないからまずいですか?と言い、言外にそんなことに固執しては数寄屋の設計はできませんよ、だから学校の先生は困る、という顔をした。
次の間から座敷に入った。そこに正座してあちこち眺めまわしているうちに、あの2段の段差の意図がわかった。座敷から見る庭の池、灯篭、築山そして借景がちょうどいい高さに設計されていた。心地よい座敷の目線を確保するための階段だったのだ。そう確信して同伴者を見ると、彼は突っ立ったまま天井を眺めていた。
玄関の式台について忘れられない話がもうひとつある。
ある古民家のケヤキの式台がひび割れたので、A棟梁がひびの部分に木片を加工して埋め木細工をした。木彫りの得意な棟梁は備蓄している銘木の木片を取り合わせて、水仙の図柄にして埋めた。その後その家では、式台に腰掛けて埋め木の水仙を愛でながら世間話をするご近所さんが増えた、という話である。
A棟梁は「大工の工は工夫の工」だといい、工夫の余地のない現代の住宅では大工の出番はないと、ひたすら木彫を楽しんでいる。
バリアフリーということで、玄関ではさまざまな工夫が見られる。段差を無くし下履きを履き替える境界で床材料を変えるとか、上がり口に履き替え線を描く床材を段差なく貼るとか、低い上がり框にするとか、段差解消のすり付け板や段差プレートを置いてスロープをつくるとかである。
玄関のあり方を含めて住居の床に上がる「上り口」のデザインには、まだまだ美しい日本の住まいの工夫がありそうだ。
(前編を見る Copyright © 2021 野平洋次 )
「バリアフリーと上がり框 ----- 正しい家づくりの研究会 松坂亮一 ----- 」
普通木工術・山形県酒田市にある「旧鐙屋(きゅうあぶみや)」
今回の随筆、第22章 上り口(後編)「バリアフリーと上がり框」を読み終えて、前回第19章に続き以前に旅した山形県庄内地方のことをまた思い出した。
【庄内地方は山形県の日本海に面した地域で、日本3大平野である庄内平野から作り出されるお米、日本海の海の幸、奥羽山脈の山の幸にも恵まれている。江戸時代から今も使われる山居倉庫や昔からの日本酒の造り酒屋の建物なども数多く点在している、歴史と文化が深く今でもつづいている素敵な街である。】その中でも今回は酒田市で出会った『旧鐙屋』についてご紹介したいと思います。
酒田を代表する廻船問屋『鐙屋』は、酒田三十六人衆の筆頭格として町年寄役を勤め、町政に重要な役割を果たした「鐙屋惣左衛門」の屋敷である。江戸時代から明治期にかけて北前船交易において大廻船問屋などとして活躍し、その当時の繁栄ぶりは井原西鶴の「日本永代蔵」にも紹介されるほどであったという。
屋敷の特徴としては、「石置杉皮葺屋根」の典型的な町家造りとなっており、内部は通り土間に面して、十間あまりの座敷、板の間が並んでいる。
ちなみに私事ですが随筆にもでてきた「福祉環境コーディネーター」の資格ですが、この資格ができて最初の資格試験を受験し3級に合格したことも思い出しました。
担当:正しい家づくりの研究会 松坂亮一