美しい日本の住まい
囲い (後編)
「垣根 ----- 野平洋次 ----- 」
 垣根はそもそも領地を鹿や猪から守るためのものだった。また住宅地では垣根越しの近所付き合い、垣根のない関係などと言って近隣付き合いをした。そんな集落の近くには、竹林が広がっていた。そして竹を使用した垣根(竹垣)がさまざまにあった。

 丸竹や細竹を束ねて巻いたものを立て並べ、両側から胴を横に渡した木で押さえた鉄砲垣、竹を斜めに編んで作った矢来垣、四角形の隙間ができるように組んだ四つ目垣、竹箒を並べた箒垣、など状況に対応する垣根が作られた。竹の穂先を上にして横一線に並べ横木で押さえた垣根は穂垣というが、竹やぶに生えている竹の穂先をそのまま地面まで折り曲げて穂先を立ち上げ垣根として作ったものには桂垣の名前がある。そのほか建仁寺垣、金閣寺垣、光悦寺垣、沼津垣、など各地各所で工夫がなされ今に伝わる。
 近くの野山にある材料で屋敷を仕切りるのは日本家屋の知恵である。ブロック塀・コンクリート塀のように視界も遮る境界壁とは違う、敷地境界線を見える化したフェンスとも違う。庭の景色は見せるが中には入らせないという垣根には、その土地に根付いた趣がある。

 1997年の取材旅行で「木積場(きづま)」に出会った。
 岩手県胆沢(いさわ)盆地に広がる散居村に伝わる垣根である。田園地帯に浮かぶ島のように高木の屋敷林に囲われて家々がある。家の敷地と隣接する水田との境界が木積場で、屋敷林の手入れで伐採した木材を薪割したものが積んである。土台の上に幅1m高さ2mくらいの範囲で積み重ね、屋敷の境界線に数十メートルも続く。その積み方は理に適って構造的であり美しい。薪(まき)の壁であるが隙間から風が通る。壮大な燃料貯蔵場所であり垣根である。
 「もうこのような木積場を持っている家は少なく、居久根(えぐね)(屋敷林のこと)すらがあやうい存在」と案内してくれた市役所観光課職員さんは言っていた。
 <植樹→育林→伐採→乾燥→燃料→木灰肥料→植樹>と循環する木材の活用法としては優れものだ。個人の屋敷で無理なら公共財としての活用はないものかと思った。

 薪は木片を裂き割ったものだが、製材した板材を並べた昔ながらの垣根・板塀がある。
 板塀で思い起こすものが筆者が通った通勤路にある。
 石垣風にコンクリートブロックを築いた基礎の上に土台を敷き、短柱をほぞ差しにして立て横木を通し、ほぼ100mm幅の縦板を塀の表と裏から交互に打ってある。横桟の厚みだけ透き間ができる。この透き間から風がとおり抜ける。
 上端には笠木もある。塀の奥には寄棟茅葺平屋の房総型民家があった。
 この板塀が手入れを繰り返しているのを長年の通勤途中に何度か見てきた。朽ちかけた一部の板を取り替えた。清め洗いをして木部の汚れを落とした。そして全部を解体し新しい部材に取り替えて再建した。同じような周辺の民家の板塀はいつの間にか簡便な市販のフェンスに作り変えられた。
 この板塀は大和塀(やまとべい)と言われるものだ。
 横桟の表と裏に交互に板を並べ、正面から見て透き間ができないように表と裏の板の端を同じ位置に揃えて打ち付ける工法を大和(やまと)打ちというが、大和塀は大和打ちした板壁の上端に笠木をのせた上等な仕上げである。
 現代ではホームセンターに行けばアルミ製の大和塀が売っているが、数寄屋図解辞典(北尾春道編)によると「大和塀とは下から上まで杉皮張りにして晒し竹の押し縁を打ち付けた塀のこと」とあり上記の大和打ちの板壁とは異なる壁が示してある。

 自然素材を使うことを特色とする日本家屋で、竹や木でつくる垣根もまた日本人の知恵で作り出した文化である。
 現代の技術とセンスでSDGsの課題に応える住まいの囲いを見つけ出す街歩きの楽しみがある。
前編を見る Copyright © 2022 野平洋次 )
「垣根 ----- 坪井当貴建築設計事務所 坪井当貴 ----- 」
正しい家づくり研究会会員の設計した「我孫子の家」

 「木製格子の垣根」
 住宅の外構において、敷地の「境界」を木材で表現することを心掛けています。
 ブロック塀のような固く無表情なものではなく、道路を歩く人の視線をある程度遮りながらも人が「角」を曲るときに感じる壁として素材を可能な限り柔らかな印象にしたいと思っています。垣根は単に「境界」を示すもの以上に、中にある建物との空間を守り、あるときは堅牢に、あるときは緩やかに、個と公をつないでいきたいと思う。

設計担当:坪井当貴建築設計事務所 坪井当貴

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