美しい日本の住まい
屋根 (前編)
「切妻 ----- 野平洋次 ----- 」
 「美しい日本の住まい」と題してこれまで30項目を挙げてきた。その間にも日本の住まいに関わる事象は急激に変化している。四季折々の風情も気候変動により昔話になりつつある。改めて日本の住まいを見直す時期かもしれない。そこでこの連載も本編「屋根」をもって区切りをつけることにした。

 屋根の「屋」には、「やどる、より合う」の意がある。屋根の「根」には、「はる、大地にしっかり食い込んでいるもの」という意がある。
 日本建築の伝統構法にこだわってみると、屋根の根はどこに食い込むか? 答は地廻りである。竪穴式住居のような外壁のない合掌造りでは地面に横木を置いて合掌をつないだ。この横木が地廻りである。柱を立て屋根を持ち上げるようになっても、柱の頭をつなぐ軒桁が屋根をつなぐ横木ともなって地廻りと呼ばれた。頭の上の地廻りに屋根となる小屋が組まれる。

 民家の屋根のシルエットは記憶に残る風景である。屋根は建物の総体を示す姿あるいは型の表象となる。材料も構法も生産過程も含んだ諸々の背景が表われ形式化している。その形式が模倣され学ばれて今に継承されている。「屋根と喧嘩は離れて見るべし」という教訓があるが、離れて屋根を見れば家の正体がわかる。
 屋根の型は「記憶の景色・生命の景色・美の景色・技の景色」として日本列島各地に伝承している。他の国に比べると屋根型の数は格段に多い。(参照「風土の意匠」浅野平八2000年)
 日本建築の屋根の特徴は傾斜していることである。
 暑い夏は外壁への日射量軽減のため傾斜屋根の軒の出が役に立つ。豪雪地帯では屋根に積もった雪が自然と落雪する屋根の勾配が必要である。雨の多い日本列島では雨水を大地に流す傾斜屋根は欠かせない。日本建築が陸屋根になったら貧相なつまらない建物になると思う。
 小さな建物では片流れ、そして棟をとって左右に屋根面を下ろすと切り妻屋根ができる。
 切り妻屋根形式の神社は多く、大社造・神明造り・唯一神明造・大鳥造り・住吉造・流造などがある。しかし筆者にとっての「切り妻」は軒を並べた町家にある。
 各地に残る街道ぞいの宿場町にタイムスリップしてみよう。
 海野宿は江戸時代参勤交代も通る北國街道の宿場町で、長野県小諸市と上田市の中間にある。切り妻屋根の木造2階建ての旅籠(はたご)宿・伝馬屋敷が約100棟並ぶ。格子を嵌めた間口の規模は様々だが、軒先は連なって数百メートルに及ぶ。まさに甍の波である。切り妻屋根はこのように棟を折り重ねて、直線上に軒を連ねていくことができる。
 オモテの川と呼ばれる幅1mほどの川が家々の前を流れている。生活用水であり防火用水でもある。街筋の裏を流れる千曲川を水源とし水量豊かに街を彩っている。
 一直線の街並みに突き刺さるように、隙間なく並んだ隣家との境に漆喰塗りの壁が突出している。棟を切り取られた妻面の屋根の端は破風・螻羽(けらば)であるが、そこに挟み込まれた壁はウダツ(卯建・卯立・宇立)と呼ばれる。着物の袖のように軒先まで張り出している長方形の袖ウダツ、軒先—軒桁—腰壁の三点を結ぶ三角形の軒ウダツ、隣家の棟の上まで突き出している家形の本ウダツなどさまざまな形がある。木枯らしや空っ風の吹き抜ける宿場町の街並みは、このウダツによって延焼を防いだ。木造家屋の妻側に取り付けられた防火壁は海野宿だけでなく町家の連なる各所で見られる。

 もう一つ忘れられない切り妻屋根に、富山県砺波平野の切り妻大屋根平入りの民家がある。「アズマだち」「枠のうち」と呼ばれる民家形式である。
 豪雪地帯の骨太な木造軸組の屋根の下は、正座しても寝転がっても安心感がただよう。妻側の大きな開口部の庇が大屋根を引き締めている。現代風に改装した窓は豪壮な農家風にも書院造り風にもなる。
いわゆる和風のデザインに淫することを拒みつつ日本家屋を志向した近代の建築家たちはこの大屋根に着目している。巨匠前川国男の自邸(1942年)や佐藤秀工務店の大屋根の家(1991)など印象深い建物がある。
 近代建築を建築構法という視点から極めた内田祥哉は、伝統構法から学ぶべきことを列記する項目の一つに「傾斜屋根・軒先・軒先のすだれ」をあげた。
 切り妻屋根は単純ではあるが力強い。増築もやりやすく可変性に富む。長く日本家屋の屋根の定番として、美しい家並みを形成してきた優れた屋根型である。
後編につづくCopyright © 2022 野平洋次 )
「切妻 ----- 正しい家づくりの研究会 松坂亮一 ----- 」

 今回の随筆、第30章 屋根(前編)「切妻」を読み終えて、今回も過去の旅で出会った建物について随筆にも登場した場所と私の好きな屋根を持つ建物をご紹介できればと思います。

 まず一つ目は、「出雲大社」です。
 友人の結婚式が地元の島根県で行われるとのことで、当時できたばかりの「サンライズ出雲」という寝台特急で行った思い出があります。
 出雲大社の主祭神は「大国主大神」です。大国主大神は天照大神に国を譲った代わりに大きな社にまつることを求め「出雲大社」をつくってもらったそうです。
 平安時代までは本殿の高さが48メートルあったという説があり、これは現在の15階建て相当の高さになります。

 二つ目は、北國街道の海野宿です。
 北國街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道だったようです。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も善光寺への参詣客も多かったよとのことです。

 三つ目は、「前川國男邸」です。
 私が前回担当した第28章でもご紹介しましたが再登場です。
 前川國男先生は、大学で建築を学び卒業後にフランスに渡り「ル・コルビュジェ」の事務所に2年務めたのちに帰国し、「アントニン・レーモンド」が東京に開いた事務所に勤めました。1935年に自身の事務所を設立し50年に及ぶ設計活動の中で200を超える建物の設計を手掛けた戦前戦後の日本のモダニズムをリードした建築家として知られている。
 現在は都立小金井公園内にある「東京たてもの園」に移築され見学することができます。

 最後にご紹介するのが「山居倉庫」です。
 山居倉庫は山形県酒田市、庄内のシンボルにもなっています。1893年(明治26年)に建てられた米の保管倉庫です。米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、白壁、土蔵造り9棟からなる倉庫の米の収容能力は10,800トン(18万俵)という。
 夏の高温防止のために背後にケヤキ並木を排して、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、自然を利用した先人の知恵が生かされた倉庫として、先月の今年 2022年9月まで129年に渡り現役の農業倉庫として活用されました。

【 出雲大社 】
【 北國街道:海野宿 】
【 前川國男先生:自邸 】
【 山居倉庫 】
担当:正しい家づくりの研究会 松坂亮一

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