美しい日本の住まい
終章 (後編)
(4)「異質なものが縁取り(ふちどり)で結ばれる」 
 日本家屋と言えば、畳・障子・板ばりの天井がある。
 幅広の板を貼った天井には、天井板を支える竿縁があり、天井と壁の接線には回り縁がある。壁は柱をむきだしにした真壁で、長押や鴨居が取り付く。壁と床の縁(ふち)には、畳寄せや雑巾摺り(ぞうきんずり)・箒摺り(ほうきずり)が取り付く。
 続き間の境界には、欄間をはめ込む欄間縁があり、障子・襖の敷居で一線を画す。
 これら部位の縁(ふち)となる線材は接合部の緩衝材ともなる。異なる材料の縁(えん)を結ぶと言葉遊びをしてもよい。
 部位・部材が衝突する所になんらかを挟み込む手法は「和様」のあり方である。
 そして伝統建築には木割法がある。柱間の大きさで柱の寸法が決まる。各部材は柱の寸法を1としそれに対する割合で示される。この木割法で緩衝材が組み合わされ、秩序ある木材架構が生まれる。寸分の狂いもない線の構成は端正であり緊張感を持っている。
 部材だけでなく二つの部位が接する場所にも緩衝となる空間が挟み込まれる。その代表例が縁側(えんがわ)である。「縁側の思想」(ジェフリー・ムーサス,2008)は日本建築固有のあり方を示している。
 緩衝部分は部位の境界を示すとともに、緩衝部分自体が際(きわ)だち、存在をあらわにして自己主張する。座敷が3〜4部屋ならぶ続き間では相の間(中の間)あるいは次の間という緩衝空間ができて奥座敷の縁取りとなりプライバシーを守る。
 ところが日本家屋の近代化は、無理・無駄・見えを排除して合理性を求めた。
 部位の縁取りも、工夫のない雑な納まりを覆い隠すような線材ばかりでは目に余る。
 近代化はまず真壁を大壁にすることが始められた。これで伝統建築の木割から解放される。天井は竿縁のない敷き目板張りとなる。長押も無くす。欄間も無くす。これで吊り束がなくなる。連続する天井と床で室内がすっきりする。
 畳縁(たたみべり)のない丈夫な琉球畳が好まれる。椅子式になれば絨毯を敷いたりして畳縁は見えなくなる。障子の桟も荒組にして室内の線が大幅に消える。極め付きは建具を壁の中に収納する押し込み戸とすることで線材だらけの建具が消える。
 このような近代和風、近代数寄屋の試みは建築家と数寄屋大工の合作の結果である。 
 しかし過ぎた合理化は、建物を節目のない目鼻立ちのないものにしてしまう。整った室内の線の構成は、端正に「澄まう」ことを教えてくれる。

(5)「建具・調度の可変性が臨機応変の住まいをつくる」
 初めて日本を訪れた外国人が、<畳の客室で卓袱台(ちゃぶだい)を出して食事をし、卓袱台を片付け布団を敷いてそこに寝る>という流儀に驚き賞賛した、というエピソードはよく聞いた。夜になると外国人旅行者から「オトコはどこですか」と尋ねられて「お床」つまり布団のことと理解できず困惑したという民宿の主人の話もある。
 用途を限定しない畳の部屋は、箒(ほうき)で床を掃くことでリセットされ、食堂にも寝室にもリビングにも変容する。軽く持ち運びの出来る調度品が場面転換を容易にする。室礼として四季折々を楽しむ。夏には北側の部屋に、冬には南側の部屋に家族が集まる。冠婚葬祭にあたっても同じ座敷が幕や敷物などで吉凶の様相を示す。
 光、視界、風を制御して動くのが建具である。日本家屋の特色である。
 辞書では「建具とは敷居鴨居又は框の間に嵌入して開閉の自由なる戸障子の類を云ふ」とある。ここで「嵌入(かんにゅう)」の「嵌」は「はまる、はめる」とも読む。この「嵌」には「くぼみに押し込んではめ込む」と言う意味がある。
 建具は動く。その動きを軽やかにして、なおかつ外れないように、木の経年変化を許容できるように嵌入する技術がある。日本建築そのものが柱と貫の嵌合構造であり、嵌入は大工の基礎技術である。
 しっかりと嵌入された建具は吹けば飛ぶような軽々しい建具ではない。古代からある明かり障子・襖・板戸などは空間を仕切る強固な可動間仕切りである。近代になって明り障子が障子の代名詞となり様々な場面を作り出す。
 朝の陽光を優しく受け止めた室内での目覚めほど心地よいものはない。和紙で拡散された光はやわらかく変化していく。
 日中、開け放たれた障子は外部と室内を一体化させる。締め切れば外部を遮断できる。開閉の度合いで隙間を調整できる。障子の中にさらに小障子を取り付けて臨機応変に開閉する。月見障子・雪見障子などと称して障子の上下半分を摺り動かして外を見る風流もある。障子は光を操る。その光が家を彩る。
 閉ざされた障子からは「内部はご無用とに」いう気配がただよう。夜になれば室内の照明が障子に写り、道行く人を和ませる。
 寝静まる夜や留守の時には、障子の外に警固な雨戸がある。外壁のような板戸が出現する。建具の工夫で開放と閉鎖の二面性を持った家ができる。
 季節の変化とともに建具が変わる。建具には夏仕様がある。襖を取り外して開け放ちの続き間にする。障子や襖を簾戸に変え風が通る夏座敷とする。見た目にも涼しさを呼ぶ。建具にも夏服への衣替えのような夏姿がある。
 日本家屋は、確固とした木造架構のもとで多様に変化する選択肢をいくつも持っている。この選択肢の多さは豊かさであり日本家屋の文化である。

(6)「部材の新陳代謝が持続する家屋をつくる」
 日本家屋の部材一つひとつには、完成された美しさがある。それぞれに関わる職人仕事の技芸がひかる。中世から伝えられてきた規矩術がある。辞書によれば、「規矩(スミカネ)は各部材の実形を図で考究し、これを実用に供する術」をいう。また「規矩準縄」という言葉が示す通り、規は円、矩は直角、準は水平、縄は垂直を正すことを意味する。日本の大工職人に伝承する江戸規矩術が今も木造現場で使われている。
 完成された構成部材は損傷したり老朽化したりすれば取り替えることができる。寸法や取り付け工法が標準化しているから、誰が部材を変えても全体の姿に変わることはない。
 日本家屋は主屋(母屋)と下屋で構成されている。下屋は浴室・台所・便所などとなる。修繕修理の頻度が主屋に比べ多くなる場所である。下屋部分を解体し取り替えれば主屋に影響を及ぼさない。下屋が主屋(上屋(じょうや)とも)を守る間取りがある。
 入母屋では妻側の下屋のような隅棟から補修が始まる。屋根材が損傷し風雨にさらされて腐朽し始めた隅木を取り替えればまた新しい屋根となる。
 雨掛かりとなる外周柱の根元が腐る。シロアリに食われることもある。そこでダメになった柱の根元を切り取って新材と取り替える。根継ぎという。古い寺院の柱を見ると根継ぎの跡がある。
 子供のころ、「柱を切るぞう!。家が倒れるかもしれんぞう!」と叫んで柱に鋸(のこぎり)を入れていた大工さんがいた。見事に柱の根元を取り出した。そして尻挟み継の加工をした新しい柱の根元を継ぎ足した。その職人技を遠巻きに見守る通りすがりの人たちがいた。
 庇(ひさし)は日差しや雨足を避けるために開口部の上部に取り付けるものである。土庇、板庇、霧除け庇などがある。これらも家を守るには重要な部位で、具合が悪くなれば取り替えて新陳代謝する部位である。土庇を支える柱は、外部にさらされ朽ちて取り替えることがあるため捨柱(すてばしら)と呼ばれる。
 取り替えが必要な箇所は北側から始まる。さる五重塔を見学した時、明らかに南側より北側が朽ちていた。「日当たり、風雪の差による。だから部分補修は欠かせない。その工事費の寄付をして欲しい。」と住職にせがまれた。建物各部の日常的な点検と修繕、定期的な補修が古代の木造建築を現代に伝えている。部材を新陳代謝させ長持ちさせる工夫によって、家は住み継がれていく。
 規格部材で木組みされた古民家は解体し再利用することができる。この解体を「生け捕り」と言う地域がある。家屋の移築再生は究極の新陳代謝である。
 日本の伝統建築工匠の技「木造建造物を受け継ぐための伝統技術」は、世界遺産としてユネスコ「人類の無形文化遺産」に登録(2020年)されている。

 伝統の日本家屋には「おばあちゃんの家」と言う定番がある。「日本昔話に出てくるような」とも「初めて見たのになぜか懐かしい」などとも言う。それが了解されるのはそこに共通するイメージが存在するからである。
 「家のつくりようは夏をもって旨とすべし」(家は夏向きにつくる)
 「天子南面す」(家は南向きがいい)
 「細工は流々」(あれこれ工夫してあるから最後の仕上がりを見てほしい)
 などということわざも、家づくりの伝統を伝承してきた。
 明治・大正時代の日本家屋と江戸時代のものとを比較しても、それほどの差はない。住まい方や住まいの作り方はゆっくりと変化してきた。その土地で育てられた住まいにはその土地の住民と同じように、3代続いてその土地の固有種となる。
 長い時間の裏付けをもって、裏も表も風格も感じられる住まいには、深い知恵と生活文化の蓄積が見られる。日本家屋の伝える原理があり、曲げられない約束事があり、知る人ぞ知る暗黙の了解事項がある。
 このような日本家屋の暗黙知を、本コラム終章として上記6項目を立てて考察した。
 我々を取り巻く環境が急激に変化している。おばあちゃんの家もマンションの方が多くなってきた。
 現代の生活、材料、技術のもとで日本家屋の暗黙知はどのように伝承していくのだろうか。
 E.S.モース著「日本人の住まい」(1885)、清水一著「すまひ読本 人の子にねぐらあり」(1954)、伊藤ていじ著「民家は生きていた」(1963)、宮川英二著「風土と建築」(1979)を机のそばに置き、簾越しの青空や、朝顔の葉のゆらめきや、風鈴の音にひたりながら、ぼんやりと思いを巡らす日々である。(完)
                                                                                                  (Copyrightt © 2023野平洋次)

Page
Top