美しい日本の住まい
終章 (前編)
 日本列島の住まいで生成された空間は、個人の意識の底辺に結びついて日本的なものとして認識されている。これはどう引き継がれていくのだろう。本コラム「美しい日本の住まい」の終章として、歴史と伝統を未来につなぐエッセンスを[ (1)奥性 (2)連続性 (3)外延性 (4)縁取り (5)新陳代謝 (6)暗黙知 ]の様相で追ってみることにする。

(1)「奥へ誘う空間秩序」
 2023年正月の新聞では、世界的建築家磯崎新の評伝が各紙に寄せられていた。昨年末91歳で逝去のニュースとともに重く受け止めた。
 あまたある磯崎の著作の中で、『建築における「日本的なもの」』(2003年:筆者72歳),『日本建築思想史』(2014年:筆者83歳)は、美しい日本の住まいを探訪する私にとって手引きをしてくれる知識の巨人だった。

 「日本的なもの」は日本対海外の図式で和様・和風として語られてきた。これを解体し、日本列島を「群島」と解釈し、その多様性多面性の中で「日本的なもの」を理解することが課題である。またその祖型は時代とともにあり始原もどきとなって継承されている、と磯崎はいう。

 建築空間の実体の存在は、身体の知覚を通してしか確認できない。
 「奥座敷」と呼ばれるものがある。座敷の隣に奥まって作られる家の主人の居間・書斎・書院である。古民家探訪でよく見かける。
 私の生家にも奥座敷があり父親の個室となっていた。夜になると手元スタンドをハイライトとして部屋の隅に薄暗がりができ、床の間の上部は闇となって無限にひろがっている。家の核心は奥座敷だった。玄関から客間・茶の間・納戸そして奥座敷という空間秩序が形成されていた。家の外の視界は山の峰に囲われた平地で、固有の空間を結んでいた。個人・家族・地域は秩序ある小宇宙だった。

 槇文彦の言説に「奥の思想」(SD選書「見えがくれする都市」)がある。  家族中心の近代的住まいは茶の間・ダイニングッキチン・リビングダイニングとなって展開した。核家族の住まいは均質化された個室群となる。家族団欒もつかの間、子供たちは部屋に引きこもる。家を建てて子を失う。外部社会を遮断し、記号的・多次元的な空間で成り立つ現代住居は無秩序な建築空間となる。

 そんな近代化住居で育った子供たちが、おばあちゃんの家をなつかしむ。旅先の田舎屋で「初めて来たのになぜか懐かしい」と言う。秩序ある空間に自分自身が組み込まれ同化し、自身の根元を想う。

(2)「空気が流れて視線がめぐる連続性」
 住宅は箱ではない、流れるように連続する空間の妙味がなければ、という指導を建築学生の私は受けた。そこでの参照事例は近代建築の巨匠であり日本建築についても研究したF.L.ライトの住宅だった。スキップフロアー・中二階・変化に富む天井などが室内空間を流動させる。個性的な窓枠・深い庇・テラスなどが外部空間を引き寄せる。これらが有機的に結ばれた「ライト風住宅」だった。

 市街地を歩けば閉鎖的に見える新築家屋が目立つようになった。外壁の開口部が少なくなった。小さな内庭や高窓、家を囲い込む外壁づくりに設計者の意匠がにじみ出る。「正面のない家」などの連作のある西澤文隆は「コート・ハウス論」(相模書房1974年)を残したが、そのようなコンセプトの住宅作品が都市にはめ込まれている。
 かつて「都市はインテリア」という言説があった。居間は公園で食堂はレストラン、という都市生活。個人の核心が閉鎖的個室(寝室)にあり、そこから生活空間が街にひろがっていく。先端都市は24時間休むことのない修羅場となった。
 家の中の様子が垣間見え、家の明かりが道行く人を和ませる、そんな日本家屋を現代都市で見つけだすのはむずかしい。今やむしろその様相を持つ平屋建ての住まいを探して歩くのが街歩きの楽しみのひとつだ。

 風を家の中に通すことで蒸し暑さをしのぐことが、日本の住まいの古来からの住まい方である。わずかばかりの風で揺れる風鈴や暖簾が涼しさを呼ぶこともある。  外気を入れることでカビ対策になる。しかし風のことは風に学ぶしかない。自然を観察して家の向きや開口部の向きを工夫する。屋内に空気のながれる道筋すなわち通風輪道をつくる。その土地での住まい方の知恵がある。

 古代寺院の壮大な列柱空間は、柱の森のような大屋根を支える胎内空間である。胎内をめぐる風はそのまま外部へとつながる。この風の道もさることながら、住まいの中の風の道は窓と建具が作る。掃き出し窓・地窓・小窓・物見窓・無双窓・高窓などから、風を取り込み吐き出す換気・通気の回路は、雨戸・ガラス戸・格子・障子・襖などの建具や、衝立(ついたて)・屏風(びょうぶ)・御簾(みす)・暖簾(のれん)・簾(すだれ)などの道具で制御される。
 風が屋内を吹き抜ける道があるということは、屋内空間が連続しているということに他ならない。石やレンガで囲われ厚い扉で閉ざされた住まいとは大いに異なる。玄関・続き間・相の間・座敷・縁側が見え隠れしながら連続し、外部空間とも融合する日本家屋の屋根の下には、閉じたり開いたりしながら有機的に空間を連続させ形づくる、豊かな道具が伝統工芸として残されている。

(3)秩序ある空間の外延性 
 先日親戚の小学1年生が「エスディージーズ」と言ったので「何?」と聞いたら「エ! それもしらないの」と返された。
 近代化がもたらした住宅産業の工業化、エネルギー消費の拡大、その結果、2023年地球は非常事態宣言を発する。今やZEH(ネットゼロエネルギーハウス)が求められる時代である。だからSDGsなのだが、自然環境と共生しながら持続する住まいは日本家屋そのものであり、SDGsそのものであったはずである。

 日本列島の居住地は、四方を山に囲われた盆地、あるいは三方が山で一方が海に開けた平野である。平地を囲う山々が壁となり、稜線に縁取られた生活領域がある。谷間から空を見上げるか、山の彼方あるいは海の彼方の遠い空を見るかして外界とつながる。土着の家は、中心から外へ外へと延びていく小宇宙を形成していた。

 平地のそこかしこに、屋敷林に囲われた住居が点在する、散居村がある。屋内の続き間から縁側に出る。軒下の庭先には盆栽があったりする。作業場となる庭、手入れの行き届いた庭の植栽、奥には敷地境界となる垣根や塀があり高木が囲う。敷地の近隣には田畑。遠景にたなびく山並み。近景・中景・遠景と展開するパノラマに自然と共にある住まいと生活が体現されている。

 住まいの外延性は近世の武家住宅、豪農や豪商の邸宅で顕著である。
 江戸時代、武家の礼法の宗家小笠原家の大名屋敷が北九州市小倉城内に再現され公開されている。
 この屋敷の主人である藩主の使う書院が一番奥まったところにある。ここで読書をしたり書き物したりする。客人や家臣と接見するときには、この書院から上段の間に移る。ここが屋敷の中心である。床の間があり床脇に違い棚・天袋が設えてある。家臣で直接藩主と対面できる重役達が座るのは上段の間より1段低い18畳の「一の間」である。重役達の従者は「一の間」に続く「二の間」に控える。この空間の秩序は天井、畳縁などの意匠で識別できる。格縁(ごうぶち)天井・高麗縁の畳の部屋は、竿縁天井・黒縁の畳の部屋より格式が高い。身分に応じた意匠がある。

 畳の間から開かれた南面を見ると、縁側から深い軒が見える。化粧軒裏の垂木の端を結ぶ軒先の水平線が、室内からの景色を縁取っている。池を巡る回遊庭園が見渡せ、奥には築山がありその後ろに高木樹が並び、さらにその先に藩領を囲う足立山系、福智山系の峰が連なって見える。

 秩序ある空間の外延性は日本家屋の特質の一つである。家は南向きが基本であるからこの外延性には、北から南へ延びていく軸線がある。
 中心も軸線もない家屋は、ヘソのないお腹、芯を外したリンゴの切り口のようで締まりがない。空間の秩序を把握することで居場所が安定する。ささやかな住空間が天に向かって延びていく様は、その土地で持続する生活への思いを強くする。

後編につづくCopyrightt © 2023野平洋次)

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