美しい日本の住まい
押入れ (後編)
「押入の工夫が住まいを豊かにする」
野平洋次
野平洋次
押入は、融通無碍にフレキシブルに部屋を使うために必要な場所であるが、生活用具を押し込めた使い勝手の悪い押入となっていたのでは、快適な住まいとはならない。住むは澄むに通じて、きちんと整理整頓をして自分の居場所を清らかにすることだと昔先生から教わった。
押入文化の発達は日本家屋の発達とともにあるように思う。
「初めて家を建てる人に必要な住宅の建て方」(昭和6年,主婦之友社、定価1円50銭)がある。この「4章各部の設計と工事(11)」に「押入の設計と設備」の項があり、8ページにわたって姿図入りで解説している。
まずここで「西洋人も感心する日本家屋」の要素として押入があり、日本家屋独自の空間であることを誇っている。しかし押入は重宝なものだが、ねずみの侵入を防いだり、防湿のために押入内部の床・壁・天井に亜鉛板を張るべきだと提案する。そして在来の3尺または6尺幅で奥行き3尺の押入に、以下の改良を加えることでさらに重宝なものになると記す。
a 上部を洋服掛け、下部を5段の衣類棚にする。
b 上部を奥行き1尺の棚とし小物を置き、そのほかに洋服掛け、帽子・ネクタイ掛けを作り、下部に小箪笥(たんす)を置く。
c 夜具入れ専用として上段・中段・下段に分け、蚊帳・枕・掛け布団・敷き布団などと分けて入れる。
d 食器棚、食品庫、本棚などに作り変える。
e 部屋の雰囲気に合わせた扉や戸にする。
これらが昭和初期の日本家屋で提案されている押入の工夫である。
そして戦争となり、都市部の日本家屋は焼夷爆弾(しょういばくだん)で壊滅的被害を受ける。昭和20年敗戦後の復興は住宅建設が急務であった。
昭和31年「もはや戦後ではない」と国の経済白書は記した。伝統的日本家屋は前時代的なものとされモダンリビングが求められた。
昭和33年には主婦の友社が「住宅全書」(全987ページ 定価1200円)を編集出版した。上記にある昭和6年,主婦之友社、定価1円50銭と同様に一般ユーザーに向けた住宅啓蒙書である。ここにある押入は、もはやなんでも投げ込む押入ではない。住みよい家にするために:すまい方篇「収納の場所:なんど・押入」の項では、
1. 押入のつくり方(何を入れるか、どこにつくるか、どのくらいの大きさがいるか)
2. 押入の使い方(じょうずに収納するための工夫。押入をとれないときの工夫。
湿気を防ぐ、むれを防ぐ、ねずみ・虫を防ぐ工夫。掃除をしやすくするための工夫。押入の戸をどうするか。)
3. 押入のとり方のいろいろ(両方から使う工夫など。)
という構成になっている。
さらに加えて以下の改良事例が示されている。
・ 神棚・仏壇を収める。
・ 箪笥(たんす)を組み合わせる。
・ 飾り棚を組み合わせる。
・ いろいろな小物類をそれぞれに適した方法で収納するために大小の引出し、戸棚、天袋を組み合わせる。
・ 押入の内ころび戸を作業机とする。
・ 押入べッドに改装する。
・ 住居に仕事場を持ち込んで、押入を小暗室に利用する。
・ 室にあわせて扉をデザインする。
高度経済成長のなかで持家政策は進み、戸建て住宅が普及した。
昭和40年代、押入は学生仲間との話題でよく出てきた。押入にフトンを敷いて寝室代わりした。押入を改造して自分の基地を作った。押入にこもって禁断本を読んだ。叱られて押入に閉じ込められた。フトンを敷きっぱなしの万年床で押入は勉強部屋だった。などなど自慢話ともつかない経験談で盛り上がったものだ。子供にとって押入は密室の小宇宙だった。
住まいの収納のあり方は住まい方である。収納のための一部屋として納戸・ウオークインクロゼットなどを取るゆとりのない小住宅では、押入の工夫が活きてくる。建築家清水一は上記の住宅全書の中のコラムで、設計競技などの架空の住宅案と現実の住まいとを区別するはっきりした一線があるとすれば、それは戸棚だと思う、と記している。そして何百年もかかって遅々と発達してきた和風住宅にあって、近代になってただ1点違うのは戸棚ができそれが増えたことだとも言っている。
押入は戸棚へと発達し、住まい方の厚みを増した。
押入文化の発達は日本家屋の発達とともにあるように思う。
「初めて家を建てる人に必要な住宅の建て方」(昭和6年,主婦之友社、定価1円50銭)がある。この「4章各部の設計と工事(11)」に「押入の設計と設備」の項があり、8ページにわたって姿図入りで解説している。
まずここで「西洋人も感心する日本家屋」の要素として押入があり、日本家屋独自の空間であることを誇っている。しかし押入は重宝なものだが、ねずみの侵入を防いだり、防湿のために押入内部の床・壁・天井に亜鉛板を張るべきだと提案する。そして在来の3尺または6尺幅で奥行き3尺の押入に、以下の改良を加えることでさらに重宝なものになると記す。
a 上部を洋服掛け、下部を5段の衣類棚にする。
b 上部を奥行き1尺の棚とし小物を置き、そのほかに洋服掛け、帽子・ネクタイ掛けを作り、下部に小箪笥(たんす)を置く。
c 夜具入れ専用として上段・中段・下段に分け、蚊帳・枕・掛け布団・敷き布団などと分けて入れる。
d 食器棚、食品庫、本棚などに作り変える。
e 部屋の雰囲気に合わせた扉や戸にする。
これらが昭和初期の日本家屋で提案されている押入の工夫である。
そして戦争となり、都市部の日本家屋は焼夷爆弾(しょういばくだん)で壊滅的被害を受ける。昭和20年敗戦後の復興は住宅建設が急務であった。
昭和31年「もはや戦後ではない」と国の経済白書は記した。伝統的日本家屋は前時代的なものとされモダンリビングが求められた。
昭和33年には主婦の友社が「住宅全書」(全987ページ 定価1200円)を編集出版した。上記にある昭和6年,主婦之友社、定価1円50銭と同様に一般ユーザーに向けた住宅啓蒙書である。ここにある押入は、もはやなんでも投げ込む押入ではない。住みよい家にするために:すまい方篇「収納の場所:なんど・押入」の項では、
1. 押入のつくり方(何を入れるか、どこにつくるか、どのくらいの大きさがいるか)
2. 押入の使い方(じょうずに収納するための工夫。押入をとれないときの工夫。
湿気を防ぐ、むれを防ぐ、ねずみ・虫を防ぐ工夫。掃除をしやすくするための工夫。押入の戸をどうするか。)
3. 押入のとり方のいろいろ(両方から使う工夫など。)
という構成になっている。
さらに加えて以下の改良事例が示されている。
・ 神棚・仏壇を収める。
・ 箪笥(たんす)を組み合わせる。
・ 飾り棚を組み合わせる。
・ いろいろな小物類をそれぞれに適した方法で収納するために大小の引出し、戸棚、天袋を組み合わせる。
・ 押入の内ころび戸を作業机とする。
・ 押入べッドに改装する。
・ 住居に仕事場を持ち込んで、押入を小暗室に利用する。
・ 室にあわせて扉をデザインする。
高度経済成長のなかで持家政策は進み、戸建て住宅が普及した。
昭和40年代、押入は学生仲間との話題でよく出てきた。押入にフトンを敷いて寝室代わりした。押入を改造して自分の基地を作った。押入にこもって禁断本を読んだ。叱られて押入に閉じ込められた。フトンを敷きっぱなしの万年床で押入は勉強部屋だった。などなど自慢話ともつかない経験談で盛り上がったものだ。子供にとって押入は密室の小宇宙だった。
住まいの収納のあり方は住まい方である。収納のための一部屋として納戸・ウオークインクロゼットなどを取るゆとりのない小住宅では、押入の工夫が活きてくる。建築家清水一は上記の住宅全書の中のコラムで、設計競技などの架空の住宅案と現実の住まいとを区別するはっきりした一線があるとすれば、それは戸棚だと思う、と記している。そして何百年もかかって遅々と発達してきた和風住宅にあって、近代になってただ1点違うのは戸棚ができそれが増えたことだとも言っている。
押入は戸棚へと発達し、住まい方の厚みを増した。
前編を見る(Copyright © 2020 野平洋次)
「押入の工夫が住まいを豊かにする」
HAN環境・建築設計事務所 松田 毅紀
HAN環境・建築設計事務所 松田 毅紀
正しい家づくり研究会会員の設計した
-----「高田の家」-----
-----「高田の家」-----
「高田の家」は、家の中央に2階の個室と緩やかにつながる吹き抜けリビングの住まいです。リビング横には、来客用のハレの間である4畳半の和室が併設されいて、戸を引き込むとリビングとつながります。4畳半とコンパクトなスペースですので、押入は、宙に浮かせた形式とし、板の間を広く見せています。押入の中は、来客用の寝具とクローゼットのハンガーパイプが設置されています。
設計担当:HAN環境・建築設計事務所 松田 毅紀