美しい日本の住まい
和風窓 (後編)
「肘掛窓」
野平洋次
野平洋次
和風・日本趣味・伝統文化に由来する窓の名称がある。これらの由来を詮索する興味がわいてきた。木造軸組では掃き出し窓こそが窓、窓は間戸と書くではないか、などと単純に考えていたことを反省している。
和風窓を分類してみよう。
資料は「住宅の建て方(主婦之友社1931)」、「数寄屋図解事典(北尾春道1959)」「古建築辞典(理工学社1994)」、「日本建築辞彙・新訂(中央公論美術出版2010)」である。
構造や材料から見ると、連子窓・下地窓・洞窓・無双窓などがある。無双窓とは無双連子付き窓のこと、無双連子とは一組の「連子」(窓に取り付ける縦格子)を作り付けにし、他の一組すなわち無双を左右に移動できるようにして開閉自在としたもの、無双とは便宜上の言葉で「不思議」を意味するとともに、静に対する動の意味があるという。
形から見ると、丸窓・角窓・隅切り窓・透かし窓・短冊窓・火頭窓・猪目窓・櫛形窓・吉野窓・腰窓などがある。猪目窓とはハート型(猪の目の形状)をした開口部。吉野窓は京都島原の吉野太夫の好みによる茶席の丸窓のこと。
操作方法から見ると、片開き窓・両開き窓・片引き窓・上げ下げ窓・嵌め殺し窓などがある。近代数寄屋の先駆者吉田五十八は、建具を特製の引き込み(戸袋)の中に全て収納し、開口部から建具を消して全開とする引き込み窓を考案した。
用途から見ると、書院窓・草庵窓・覗き窓・めくら窓・眺望窓・掃き出し窓・などがある。書院窓は付け書院、出書院または書院床、平書院の窓で、そこに建て付ける書院障子の形状は多彩である。
さらに茶事にかかわるものとして風炉先窓・墨跡窓・突き上げ窓・花明り窓がある。
さわさりながら、筆者にとっての和風窓は肘掛窓(腰窓)である。窓の下に膳板を取り付けて敷居を床上端より1尺(約30cm)程度高くした窓のことで、和風住宅で最も多い形式とされている。1間窓(柱と柱の間の間戸)に出格子、小縁、欄干(勾欄)などを付けた眺望窓である。
ある時ある所で町家の2階に上がった。すると小縁付きの肘掛窓があった。引き寄せられるように近寄った。下屋の屋根瓦越しに庭が見える。梅の花が咲いていた。春風が心地いい。座り込んだ。空が広がった。ゆったりした雲の動きを見て時が経つのを忘れた。小縁の高欄は肘を置くのにちょうどいい。ますますまったり座り込んでしまった。この肘掛窓に寄り添って日々を過ごした人がいたのだ。
敬愛する建築家中村好文さんは、桂離宮笑意軒の障子が最も好きと書いていた。筆者も笑意軒・中の間の肘掛窓は忘れられない景色の一つだ。この肘掛窓は南側の農地に向かって2間の間口いっぱいに開かれる。窓下の細長い膳板に間延びした金箔貼りの菱形にも目を奪われるがともかく、ここに肘を付き水田を伝って屋内を吹き抜けていく風に吹かれてみたい、というあこがれがある。
「日本人は夏と言わず冬と言わず縁側に親しみ、庭を眺めて一生を送った」という建築家であり俳人の清水一のことばが浮かんできた。さてこの感覚を共有できるのは誰だろう。このところ1990年代生まれの若者対象に日本の住まいについて講義しているのだが「和室」がなかなか通じない。かつて1970年代生まれの若者達は和室はと問うと「日本昔話」「おばあちゃんの家」という応答があったのだが。
先週、縁あって高齢者対象に「日本の住まい」について講義をした。1945年生まれの筆者の和室体験に共感を持って受け止めてくれる人が大半だった。用の美、民芸とも言える民家、四季折々の住まいのしつらえなどの話が受けた。
そしてそれぞれに我が家と我が身の来し方を思い描いて、住まいのことを考えた。
五感の中に記憶されている日本の住まいがある。
和風窓を分類してみよう。
資料は「住宅の建て方(主婦之友社1931)」、「数寄屋図解事典(北尾春道1959)」「古建築辞典(理工学社1994)」、「日本建築辞彙・新訂(中央公論美術出版2010)」である。
構造や材料から見ると、連子窓・下地窓・洞窓・無双窓などがある。無双窓とは無双連子付き窓のこと、無双連子とは一組の「連子」(窓に取り付ける縦格子)を作り付けにし、他の一組すなわち無双を左右に移動できるようにして開閉自在としたもの、無双とは便宜上の言葉で「不思議」を意味するとともに、静に対する動の意味があるという。
形から見ると、丸窓・角窓・隅切り窓・透かし窓・短冊窓・火頭窓・猪目窓・櫛形窓・吉野窓・腰窓などがある。猪目窓とはハート型(猪の目の形状)をした開口部。吉野窓は京都島原の吉野太夫の好みによる茶席の丸窓のこと。
操作方法から見ると、片開き窓・両開き窓・片引き窓・上げ下げ窓・嵌め殺し窓などがある。近代数寄屋の先駆者吉田五十八は、建具を特製の引き込み(戸袋)の中に全て収納し、開口部から建具を消して全開とする引き込み窓を考案した。
用途から見ると、書院窓・草庵窓・覗き窓・めくら窓・眺望窓・掃き出し窓・などがある。書院窓は付け書院、出書院または書院床、平書院の窓で、そこに建て付ける書院障子の形状は多彩である。
さらに茶事にかかわるものとして風炉先窓・墨跡窓・突き上げ窓・花明り窓がある。
さわさりながら、筆者にとっての和風窓は肘掛窓(腰窓)である。窓の下に膳板を取り付けて敷居を床上端より1尺(約30cm)程度高くした窓のことで、和風住宅で最も多い形式とされている。1間窓(柱と柱の間の間戸)に出格子、小縁、欄干(勾欄)などを付けた眺望窓である。
ある時ある所で町家の2階に上がった。すると小縁付きの肘掛窓があった。引き寄せられるように近寄った。下屋の屋根瓦越しに庭が見える。梅の花が咲いていた。春風が心地いい。座り込んだ。空が広がった。ゆったりした雲の動きを見て時が経つのを忘れた。小縁の高欄は肘を置くのにちょうどいい。ますますまったり座り込んでしまった。この肘掛窓に寄り添って日々を過ごした人がいたのだ。
敬愛する建築家中村好文さんは、桂離宮笑意軒の障子が最も好きと書いていた。筆者も笑意軒・中の間の肘掛窓は忘れられない景色の一つだ。この肘掛窓は南側の農地に向かって2間の間口いっぱいに開かれる。窓下の細長い膳板に間延びした金箔貼りの菱形にも目を奪われるがともかく、ここに肘を付き水田を伝って屋内を吹き抜けていく風に吹かれてみたい、というあこがれがある。
「日本人は夏と言わず冬と言わず縁側に親しみ、庭を眺めて一生を送った」という建築家であり俳人の清水一のことばが浮かんできた。さてこの感覚を共有できるのは誰だろう。このところ1990年代生まれの若者対象に日本の住まいについて講義しているのだが「和室」がなかなか通じない。かつて1970年代生まれの若者達は和室はと問うと「日本昔話」「おばあちゃんの家」という応答があったのだが。
先週、縁あって高齢者対象に「日本の住まい」について講義をした。1945年生まれの筆者の和室体験に共感を持って受け止めてくれる人が大半だった。用の美、民芸とも言える民家、四季折々の住まいのしつらえなどの話が受けた。
そしてそれぞれに我が家と我が身の来し方を思い描いて、住まいのことを考えた。
五感の中に記憶されている日本の住まいがある。
(前編を見る Copyright © 2022 野平洋次)
「肘掛窓 」
HAN環境・建築設計事務所 南澤圭祐
HAN環境・建築設計事務所 南澤圭祐
正しい家づくり研究会会員の設計した「森林公園の家」
「森林公園の家」は埼玉県の里山に計画された住まいです。
新しい住まいをつくるときに和室を希望される建主が減ってきていますが、ごろっと床に寝転ぶことができる和室(畳敷きの部屋)は、個人的には気に入っている。
大きな空間と対比した小さな空間に取付ける窓は、高さを抑え視線が下へ抜けるように計画することが大切です。
(「森林公園の家」は、窓越しに代々受け継がれた土地に、ご両親が綺麗に積んだ玉石の擁壁を見ることができます)
新しい住まいをつくるときに和室を希望される建主が減ってきていますが、ごろっと床に寝転ぶことができる和室(畳敷きの部屋)は、個人的には気に入っている。
大きな空間と対比した小さな空間に取付ける窓は、高さを抑え視線が下へ抜けるように計画することが大切です。
(「森林公園の家」は、窓越しに代々受け継がれた土地に、ご両親が綺麗に積んだ玉石の擁壁を見ることができます)
設計担当:HAN環境・建築設計事務所 南澤圭祐