美しい日本の住まい
畳 (後編)
「畳の上の水練」
 野平洋次
 日光に田母沢御用邸記念公園があり公開されている。見学した時のこと「有職畳」の展示に見入ったことがある。
 有職畳(ゆうそくだたみ)は、平安時代の貴族や要人の官位や格式を示す。座る人によって畳の厚みや、縁の色・柄が決められている。田母沢御用邸にはウンゲン・中紋・小紋・萌黄絹などと名付けられた有職畳があった。
 この置き畳は伝統的調度品として現在も神社仏閣などで使われている。制作方法も昔ながらの手順がある。これはYou Tubeでみた。
 しかしその用い方や作法は、下々の我々には全く縁のないものであり、仮に有職畳を部屋に置いたところで、しょせんは理屈や作り方を知っているだけで何の役にも立たない、つまりことわざでいうところの「畳の上の水練」でしかない。
 江戸時代の落語に家の褒め言葉がある。いつもの与太郎が伯父さんの家の新築祝いでの口上を父親から教わった。
「結構な御普請でございます。普請は総体檜造りで、天井は薩摩の鶉杢(うずらもく)。左右の壁は砂摺りで、畳は備後の五分縁でございますね。お床も結構。お軸も結構。庭は総体御影造りでございます。」
  ところがなにしろ与太郎のことで「天井は薩摩芋の鶉豆」「畳は貧乏のボロボロで」などとしどろもどろとなる。
 江戸の昔から畳の最高級品は備後(現在の福山市を中心として、広島県と岡山県をまたぐ地域)とされていた。ここで栽培されたイグサ(藺草)を手織りしてつくられた畳表が高級品として知られていた。
 こんな江戸の常識を知っていても畳の部屋がない現代住居では、畑の水連・コタツの水練・絵に描いた餅・机上の空論だろう。
 昭和23年戦後復興の中で「将来の問題としてタタミをどうお考えですか」というアンケートが月刊誌「生活と住居」(1948.7)に掲載されている。著名人・有識者からの回答には、
「昔からのものであるが、だんだんと用いなくて良いものにしたい。」(フランス文学者:渡辺一夫)
「タタミは現代生活には適しない。不潔・不経済・非能率・時代遅れ」(評論家:坂西志穂)
「なんとなく落ち着かせてくれて暖かで、不思議に懐かしい蝕感」(歌舞伎研究家:河竹繁俊)
「畳なき生活は女房なき生活の如し」(評論家:今日出海)
「畳は絨毯と芝生と砂浜と籐の寝椅子の兼用物」(作家:三島由紀夫)
などなど十人十色の回答をみることができる。こんな論争があって畳は現代に生きている。
 それがなにより証拠には、畳の寸法が基準となった表記は今でも不動産の掲示ビラや新聞の折り込みチラシで見かける。都心のタワーマンションでも洋間(6.2帖)などとある。
  畳・帖は部屋の大きさ(床面積)を表す単位として日本人の間で広く認識されている。「起きて半畳、寝て一畳」とはよく言ったものだ。
 畳1枚は6尺×3尺が基準であるが、これは建具(障子・襖)の寸法でもある。つまり日本家屋の各部位は基準値の比例寸法となっている。動詞「畳む」は折り返してきちんと積み重ねることであるが、それができるのは寸法に秩序があるからである。各部の寸法が体系化されているから線材(材木)を組む軸組工法で全体が出来上がる。日本の伝統家屋の端正さ力強さ美しさは寸法の約束事がもたらすものである。そんな住まいの中で慣らされてきた感覚が我々にはある。
 日本人の畳への思いや感性は、日本家屋での空間体験を畳み掛けることで磨かれてきたものなのだ。
(Copyright© 2019野平洋次)
「畳の上の水練」
 吉川みゆき
正しい家づくり研究会会員の設計した「畳の部屋」
「府中市の二世帯住宅」
  二世帯住宅の親世帯用寝室です。
 6尺(1,820mm)×3尺(910mm)を基準にした畳と襖、障子、長押の高さや天井材の幅は尺を基準にした比例寸法で作られています。各部の寸法が整えられた和に暮らす中で約束事を重んじるように育まれてきたのかもしれません。
 右側の戸襖を開くと親世帯用リビングルームに繋がり、左側の障子を開くと奥行き6尺の広縁に繋がります。この広縁は、将来ベットを置いて頂けるように計画したのですが、築後約6年が経ち、ベットは広縁ではなくこの和室に置かれています。お母様は『畳は落ち着くし、柔らかくて転んでも痛くないから安心よ。』とおっしゃいました。
 ほんのり木の香漂う和室は座して使う部屋にとどまらず、イスもやベットを置いて和みの空間として生かす方法もあります。
設計担当:有限会社みゆき設計 吉川みゆき
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