美しい日本の住まい
大黒柱 (後編)
「恵比寿・大黒に守られて“古美る”」
野平洋次
野平洋次
夕刻の田園風景の中で、遠くに柱と屋根の骨組みだけのシルエットを見たことがある。美しいと思った。そして部材を組み立てていく建て方作業と、それが終わったあとの上棟式を想像した。建前(棟上げ)があったのだろうと。
建前といえば本音が出てくる。建前は「表向きの気持ちや方針」、本音は「本当の考えや気持ち」ということだから、木造住宅の建設現場の専門用語「建前」も意味深長な言葉となる。建設現場では建前の後、造作(ぞうさく雑作とも書く)に取り掛かる。構造躯体(骨組み)に敷居や鴨居、天井、造り付け家具の取り付けなどをする木工事のことである。造作大工は軸組の下ごしらえをする大工より高度な技術と経験を要する。
建前は造作のためにある。したがって表向きの方針(建前)が現場の事情(造作)でつくろわれることがある。建前ではすっきりすんなり接合できる算段で下ごしらえしたはずの材木が、現場に持ち込んで組み立てて見ると不具合を生じて調整を余儀なくされる。つまり本音のところでは建前どおりにはいかない。
さらには建前までは設計図通りの間取りで納得していた建主さんが、建ち上がった骨組みの中に入り気持ちが変わって設計変更を求める話がある。実体を実感して本音が現れた。
こんなやりとりを経て家はできていく。もっとも建前というのは関東で関西では棟上げということが多い。建ち舞いという地方もある。
古屋さん(仮名)の家では、正月を迎えるにあたり大黒柱に輪飾りをしている。大黒柱には天から降りてきた神様が宿っているという祖父からの言い伝えがあったのだ。神様の名は大黒天。七福神の一つとして知られ大地を掌握する神様である。この柱はこの家で暮らしてきた人たちを見守ってきた。
古屋さんの家の間取りは、田の字型の床座(畳敷きと板張り)の間取りに通り庭がついた長方形である。長手方向の中央に柱が4本、1列となって並ぶことになる。この列柱の土間と床座が接する中央の柱が大黒柱。古屋さんの信仰の対象である。 子供達が成長とともに個室が欲しいと言い出した。古屋さんは建具で仕切る続き間を壁で仕切りドアを付け、通り庭に床を貼るリフォームをした。そのため大黒柱は“らしさ”を失い、もはや亭主柱(大黒柱)の存在感はなくなった。それでもせめて正月くらいは一家の大黒柱を家族に認識させたいと輪飾りを取り付けているのだ。
そんな古屋さんでも恵比寿柱というものがあることを知らない。これも家の骨組みを支える柱で、家の平面の中心線上に4本並んだ列柱の中にある2本のうち、大黒柱に相対した片方は恵比寿柱と呼ばれる。この恵比寿柱と大黒柱の上部は牛梁とも呼ばれる大きな梁で繋がれ、家屋の軸組みの骨格となっている。つまり恵比寿・大黒の柱で鳥居の形をつくり、家屋全体の要となる。古屋さんの自覚のいかんを問わず、2本の柱は夫婦柱となって一家を構成している。
恵比寿様は福徳の神といわれる七福神の仲間である。信心深い古屋さんだが、ご先祖が家を守る神としてさらに台所に荒神様、便所に弁天様を祀っていたことを知らない。そのほか神棚と仏壇があった。神仏習合、八百万の神々がいる日本列島なるがゆえだ。しかしこのような民間信仰については諸説あり合理主義者の古屋家先代は家内から神棚をなくした。当代家主1代の話では伝えきれないものを抱えて、古屋さんはこの家に住んでいる。
食う寝るところに住むところだけでは満足できなくなった古屋さんは晩年、茶室を増築した。まがりなりにも床柱・中柱・塗り出し柱・付け柱・捨て柱・間柱・袖柱などと呼ばれる柱が露出している。それぞれに意味のある場所がこれらの柱によって形成される。その場所に身を置くことで、古屋さんは自分を取り戻すことを覚えた。
日本家屋は総持ちで、各部位の部材が連携しあって支えあっている構造美がある、と前編で書いたが、大黒柱と恵比寿柱のようにまた茶室のように、各部材には個別名称があり、人と暮らしてきた歴史が積み重ねられ、人の命より長く受け継がれていく。画一的で均質な量産住宅とは違うところだ。
「総和の美」は古びて美しい。日本の住まいは“古美る”ものだ。
(Copyright© 2019野平洋次)
建前といえば本音が出てくる。建前は「表向きの気持ちや方針」、本音は「本当の考えや気持ち」ということだから、木造住宅の建設現場の専門用語「建前」も意味深長な言葉となる。建設現場では建前の後、造作(ぞうさく雑作とも書く)に取り掛かる。構造躯体(骨組み)に敷居や鴨居、天井、造り付け家具の取り付けなどをする木工事のことである。造作大工は軸組の下ごしらえをする大工より高度な技術と経験を要する。
建前は造作のためにある。したがって表向きの方針(建前)が現場の事情(造作)でつくろわれることがある。建前ではすっきりすんなり接合できる算段で下ごしらえしたはずの材木が、現場に持ち込んで組み立てて見ると不具合を生じて調整を余儀なくされる。つまり本音のところでは建前どおりにはいかない。
さらには建前までは設計図通りの間取りで納得していた建主さんが、建ち上がった骨組みの中に入り気持ちが変わって設計変更を求める話がある。実体を実感して本音が現れた。
こんなやりとりを経て家はできていく。もっとも建前というのは関東で関西では棟上げということが多い。建ち舞いという地方もある。
古屋さん(仮名)の家では、正月を迎えるにあたり大黒柱に輪飾りをしている。大黒柱には天から降りてきた神様が宿っているという祖父からの言い伝えがあったのだ。神様の名は大黒天。七福神の一つとして知られ大地を掌握する神様である。この柱はこの家で暮らしてきた人たちを見守ってきた。
古屋さんの家の間取りは、田の字型の床座(畳敷きと板張り)の間取りに通り庭がついた長方形である。長手方向の中央に柱が4本、1列となって並ぶことになる。この列柱の土間と床座が接する中央の柱が大黒柱。古屋さんの信仰の対象である。 子供達が成長とともに個室が欲しいと言い出した。古屋さんは建具で仕切る続き間を壁で仕切りドアを付け、通り庭に床を貼るリフォームをした。そのため大黒柱は“らしさ”を失い、もはや亭主柱(大黒柱)の存在感はなくなった。それでもせめて正月くらいは一家の大黒柱を家族に認識させたいと輪飾りを取り付けているのだ。
そんな古屋さんでも恵比寿柱というものがあることを知らない。これも家の骨組みを支える柱で、家の平面の中心線上に4本並んだ列柱の中にある2本のうち、大黒柱に相対した片方は恵比寿柱と呼ばれる。この恵比寿柱と大黒柱の上部は牛梁とも呼ばれる大きな梁で繋がれ、家屋の軸組みの骨格となっている。つまり恵比寿・大黒の柱で鳥居の形をつくり、家屋全体の要となる。古屋さんの自覚のいかんを問わず、2本の柱は夫婦柱となって一家を構成している。
恵比寿様は福徳の神といわれる七福神の仲間である。信心深い古屋さんだが、ご先祖が家を守る神としてさらに台所に荒神様、便所に弁天様を祀っていたことを知らない。そのほか神棚と仏壇があった。神仏習合、八百万の神々がいる日本列島なるがゆえだ。しかしこのような民間信仰については諸説あり合理主義者の古屋家先代は家内から神棚をなくした。当代家主1代の話では伝えきれないものを抱えて、古屋さんはこの家に住んでいる。
食う寝るところに住むところだけでは満足できなくなった古屋さんは晩年、茶室を増築した。まがりなりにも床柱・中柱・塗り出し柱・付け柱・捨て柱・間柱・袖柱などと呼ばれる柱が露出している。それぞれに意味のある場所がこれらの柱によって形成される。その場所に身を置くことで、古屋さんは自分を取り戻すことを覚えた。
日本家屋は総持ちで、各部位の部材が連携しあって支えあっている構造美がある、と前編で書いたが、大黒柱と恵比寿柱のようにまた茶室のように、各部材には個別名称があり、人と暮らしてきた歴史が積み重ねられ、人の命より長く受け継がれていく。画一的で均質な量産住宅とは違うところだ。
「総和の美」は古びて美しい。日本の住まいは“古美る”ものだ。
(Copyright© 2019野平洋次)
「恵比寿・大黒に守られて“古美る”」
有限会社みゆき設計 開発美知江
有限会社みゆき設計 開発美知江
正しい家づくり研究会会員の設計した
「大黒柱のある家」
「大黒柱のある家」
「武蔵村山の家」
現代ではあまり見られなくなった大黒柱ですが、象徴的な意味合いや美観を高める役割として今でも人気があります。
本来あるべき姿の大黒柱から、時代の変化と共に住まいに合う形状や材種にする事で、現代の住宅でも空間に軸が造られ、また間合いも取れます。
一家の大黒柱であるご主人様はご家族を大切にされ、幸せにお過ごしになられています。家の中心となる大黒柱もご主人様もどちらも大切な存在となりますね。
写真の大黒柱は、施主様と那須塩原の製材所で選んだ8寸(240mm)のみがき天然出絞丸太なので艶があり経年と共に味わいが現れます。
現代ではあまり見られなくなった大黒柱ですが、象徴的な意味合いや美観を高める役割として今でも人気があります。
本来あるべき姿の大黒柱から、時代の変化と共に住まいに合う形状や材種にする事で、現代の住宅でも空間に軸が造られ、また間合いも取れます。
一家の大黒柱であるご主人様はご家族を大切にされ、幸せにお過ごしになられています。家の中心となる大黒柱もご主人様もどちらも大切な存在となりますね。
写真の大黒柱は、施主様と那須塩原の製材所で選んだ8寸(240mm)のみがき天然出絞丸太なので艶があり経年と共に味わいが現れます。
設計担当:有限会社みゆき設計 開発美知江