美しい日本の住まい
障子 (前編)
「猫と障子」
野平洋次
野平洋次
天然素材に囲まれて自然と共に呼吸する家屋の室内で、静かに暮らすのがこの国の住まい方だった。そこで特段の役割を果たしているのが障子、と言えるだろう。障子は生活空間を包む「風呂敷」で、コンクリートの建物の中にあっても、障子の部屋が親しみをもって生活と関わる。
古代では、衝立・屏風・襖などを含んで「障子」とされていた。障壁画を描いて壁に見立てたり、障り(さわり)をつくって室内を制御するものの総称が「障子」だった。
この「障子」の一種に採光を目的とした紙を貼った「明かり障子」(紙貼り障子とも)があった。紙は当然のことながら雨に弱く、破壊されやすい。そこで頑丈な蔀戸(しとみど)や雨戸をその障子の外側に取りつけた。また障子紙に油を塗れば唐傘(からかさ)のように防水性が確保できる。これを「油障子」または「雨障子」と言った。
書院造りの源流とされる室町時代の銀閣寺東求堂同仁斎のように、障子をわずかに開けて外の景色を一幅の掛け軸に見せるしつらえ、京都の町屋などにある障子を袖壁に引き込んで坪庭と一体となるしくみなど、障子によって作り出される日本の住まいの魅力がある。
和紙を通して和らいだ光を室内にもたらす障子に、その機能を保持しながら、少しだけ外を見たい風を通したいということで、さまざまな工夫がなされている。
「猫間障子」といわれるものがある。
障子下半分がすり上がるように工夫をしたものだ。そこで「すり上げ猫間」ともいわれる。座敷に座って外の景色を眺める。開口の大きさを小障子の上げ下げで調整する。夏には畳を這う微風をもたらし、昼寝にもってこいのしかけとなる。
「ねこま」は猫の古称である。そこで「猫間障子」の開口は猫の通路のためという説がある。「猫を追うより皿を引け」ということわざがあるが、確かに猫の額ほどの隙間を開けておけば、飼い猫に障子を破られる事はないだろう。
障子の中程、座った目線に額縁をはめ、左右に動く小障子(孫障子)を仕組んだ障子がある。「横猫間」という。これには「引き分け猫間」と「片引き猫間」がある。小障子を引き開けたわずかな隙間から室外が見える。猫間には「猫の瞳のようにさまざまに形がかわる」という意味もあるというから、これこそが本来の猫間障子つまり「本猫間」という説になる。
またあえて、引き開ける小障子を「関東猫間障子」とし、摺上げるのを「大阪猫間障子」として区別することがある。関東と大阪にどういう対比が込められているのか、識者の意見を聞いてみたい。
さらに「雪見障子」と呼ばれる障子がある。
すり上げ猫間障子の下部にガラスが入ったものだ。小障子を上げればガラスを通して外の景色が見える。つまり部屋の中から雪景色を眺めるということで雪見障子の名前である。古典文学にも出てきそうな雅な風情が感じられるが、残念ながらこの障子が登場するのは昭和に入ってからである。
日本でガラスが大量生産され普及するのは明治末期で、木の枠にガラスをはめた障子(吾妻障子)が一般住宅にも使われるようになる。ガラス戸と紙貼り障子の組み合わせが出現する。またガラス戸にも透明ガラスのほかに曇りガラス(すりガラス)を取り入れることで、個性的なデザインのガラス戸を生み出した。
そこで雪見障子が登場することになる。「風情を楽しむ日本人好み」という評価がある一方、「昔はこんな横着者の好むようなものはなく、さっと窓をあけて外を眺め、月の光を入れていた」「数寄の精神のうすれてきた建具」と近代数寄屋を数多く手掛けた浦島勇氏は著書「今日の数寄屋造り」(井上書院1970)の中で述べている。
和紙という素材を活かしながら、障子は時代とともに生きている。
後編へつづく(Copyright © 2019 野平洋次)
古代では、衝立・屏風・襖などを含んで「障子」とされていた。障壁画を描いて壁に見立てたり、障り(さわり)をつくって室内を制御するものの総称が「障子」だった。
この「障子」の一種に採光を目的とした紙を貼った「明かり障子」(紙貼り障子とも)があった。紙は当然のことながら雨に弱く、破壊されやすい。そこで頑丈な蔀戸(しとみど)や雨戸をその障子の外側に取りつけた。また障子紙に油を塗れば唐傘(からかさ)のように防水性が確保できる。これを「油障子」または「雨障子」と言った。
書院造りの源流とされる室町時代の銀閣寺東求堂同仁斎のように、障子をわずかに開けて外の景色を一幅の掛け軸に見せるしつらえ、京都の町屋などにある障子を袖壁に引き込んで坪庭と一体となるしくみなど、障子によって作り出される日本の住まいの魅力がある。
和紙を通して和らいだ光を室内にもたらす障子に、その機能を保持しながら、少しだけ外を見たい風を通したいということで、さまざまな工夫がなされている。
「猫間障子」といわれるものがある。
障子下半分がすり上がるように工夫をしたものだ。そこで「すり上げ猫間」ともいわれる。座敷に座って外の景色を眺める。開口の大きさを小障子の上げ下げで調整する。夏には畳を這う微風をもたらし、昼寝にもってこいのしかけとなる。
「ねこま」は猫の古称である。そこで「猫間障子」の開口は猫の通路のためという説がある。「猫を追うより皿を引け」ということわざがあるが、確かに猫の額ほどの隙間を開けておけば、飼い猫に障子を破られる事はないだろう。
障子の中程、座った目線に額縁をはめ、左右に動く小障子(孫障子)を仕組んだ障子がある。「横猫間」という。これには「引き分け猫間」と「片引き猫間」がある。小障子を引き開けたわずかな隙間から室外が見える。猫間には「猫の瞳のようにさまざまに形がかわる」という意味もあるというから、これこそが本来の猫間障子つまり「本猫間」という説になる。
またあえて、引き開ける小障子を「関東猫間障子」とし、摺上げるのを「大阪猫間障子」として区別することがある。関東と大阪にどういう対比が込められているのか、識者の意見を聞いてみたい。
さらに「雪見障子」と呼ばれる障子がある。
すり上げ猫間障子の下部にガラスが入ったものだ。小障子を上げればガラスを通して外の景色が見える。つまり部屋の中から雪景色を眺めるということで雪見障子の名前である。古典文学にも出てきそうな雅な風情が感じられるが、残念ながらこの障子が登場するのは昭和に入ってからである。
日本でガラスが大量生産され普及するのは明治末期で、木の枠にガラスをはめた障子(吾妻障子)が一般住宅にも使われるようになる。ガラス戸と紙貼り障子の組み合わせが出現する。またガラス戸にも透明ガラスのほかに曇りガラス(すりガラス)を取り入れることで、個性的なデザインのガラス戸を生み出した。
そこで雪見障子が登場することになる。「風情を楽しむ日本人好み」という評価がある一方、「昔はこんな横着者の好むようなものはなく、さっと窓をあけて外を眺め、月の光を入れていた」「数寄の精神のうすれてきた建具」と近代数寄屋を数多く手掛けた浦島勇氏は著書「今日の数寄屋造り」(井上書院1970)の中で述べている。
和紙という素材を活かしながら、障子は時代とともに生きている。
後編へつづく(Copyright © 2019 野平洋次)
「猫と障子」
望月建築アトリエ 望月大介
望月建築アトリエ 望月大介
正しい家づくり研究会会員の設計した
「猫と障子のある家 1」
「猫と障子のある家 1」
「暁町の家」
南側和室に用いた猫間障子の実例。
南側和室に用いた猫間障子の実例。
設計担当:望月建築アトリエ 望月大介
正しい家づくり研究会会員の設計した
「猫と障子のある家 2」
「猫と障子のある家 2」
「高尾の家」
ゲストルームでもある3.7畳の小さな和室の障子。
北側の部屋のため、換気にも便利なように上げ下げ障子としました。
ゲストルームでもある3.7畳の小さな和室の障子。
北側の部屋のため、換気にも便利なように上げ下げ障子としました。
設計担当:望月建築アトリエ 望月 新