美しい日本の住まい
縁側 (前編)
「縁側は生活の縁取り(ふちどり)」
 野平洋次
 美しいものに説明はいらない。まして重々しい内面の解説は不要である。それは住まいにおいてなおさらである。
 住まいの評価は美しさだけではすまされない。住まい方には住まい手の人生がある。人の子の寝ぐら物語は時に重苦しい。それでもただ単に美しいと思う一瞬がある。
 房総半島の農家の縁側でくつろいだことがある。
 グループ旅行の途中で屋根型の美しい家を見つけた。マキの木の生垣に沿って坂道を登って行くと庭が広がっていた。そこで作業をしているおばあさんに声をかけてみた。すると縁側に座ることを勧められお茶までごちそうになった。縁框(えんがまち)に腰掛けて足をブラブラさせながら、この家の昔話や後継問題など重い話にのめり込んでしまった。
 縁側には梅の実が干し籠に並べてあった。そこでこの家の梅の木の話となる。縁側に続く座敷の長押(なげし)に先祖の写真が掲げてあった。そこで先代の苦労話とこの家の栄光を教えられる。縁側から見下ろす景色についても四季折々の出来事が語られた。そもそも住居は縁側から出入りしたものだが、この美しいと思い引き寄せられた住まいの物語も縁側から始まった。
 内と外の境界に縁側を設けるという手法はいつ頃からだろう。そもそも縁側とは日本独自のものなのだろうか。美しい屋根の下の縁側の思い出写真とともに、資料を広げてみた。
 古代、中国からもたらされた寺院建築は床を張るという事をしていない。しかし雨が多く湿度の高い日本の気候は、床を張った建物を求めた。そこで礎石の上に立てられた太い柱に横木(地覆長押)を回して床を張った。部屋の内側の床はこの横木の上端に取り付けた。そして部屋の外側には横木の下端から縁板を取り付けた。このように部屋の内と外で段差がある床張りは、和様の特徴である落縁(おちえん)という形式となる。
 鎌倉時代の武家住宅では主屋と前庭の間に濡れ縁があり、庭と縁とを一体のものとして使っていた。縁側は屋内空間ではなかった。
 縁はフチとも読む。本体から外に張り出した部分であり、ものの周りを囲むフチの部分でありワクである。縁(ふち)取りして縁(ふち)飾りをする。
 東北の農家でまさしく住まいの縁飾りのようなみ落縁(おちえん)を見た。縁側と言えるシロモノではない。軒下に取り付けられた幅45cmほどの板張りの濡れ縁だった。外壁に対して直角に短い板を並べた切目縁(きりめえん)となっていた。
 重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けて、江戸時代の武家屋敷集落を残している鹿児島県知覧に行ったことがある。
 マキの生垣を大刈り込みで修景している小路から、門をくぐって庭先にまわり縁側に至る露地が造園されている。縁側からは枯山水の庭、造形された生け垣、その向こうに借景となる山々の峰が見える。家の内から外へ外へと延びて行く空間を感じさせる手法は日本建築の特色の一つだが、その空間に身を置いて眺めた景色は美しかった。
 古い京都風の町並みを歩くと「バッタリ床几(しょうぎ)」(揚げ見世(あげみせ)とも)がある。表通りに面してしつらえた縁台である。床を90度上に回転させて垂直に折りたたんで収納してある。障子や格子戸の下部を養生する外壁の役割をする。バッタリ倒して水平にして、足となる角材を引き出すと縁側となる仕組みである。
 ある街並みで見たバッタリ床几の脇には、水盤があり1輪のハスの花が咲いていた。光景は今でも脳裏に浮かんでくる。
 縁側を見ているとさまざまな出来事が想像出来る。おばあさんが座り込んでいる。敷物の上に干し物をひろげる。近所の人がやってきて腰を下ろし世間話に花を咲かせる。行商人が手持ちの品を拡げる。祭りとなれば座敷飾りをしてもてなす場となる。そこは社交場であり舞台である。
 日本の住まいには、縁取り(ふちどり)をして外と内のけじめをつける縁側という装置がある。
後編へつづく(Copyright © 2019 野平洋次)


「縁側は生活の縁取り(ふちどり)」
 有限会社みゆき設計 吉川みゆき
正しい家づくり研究会会員の設計した
「縁側のある家」
「現代風縁側のある家」
 玄関ポーチのすぐ隣にウッドデッキを設けた住宅です。リビング・ダイニング側からも出入りできるこのウッドデッキは、今では家族の憩いの場となっているようです。ご家族やお友達とお茶を飲みながらひと休憩したり、ウッドデッキから下りてお庭のお手入れをしたり。将来的には犬を飼われて、お庭で遊ぶ姿をウッドデッキから温かく見守りたいとお施主様はおっしゃっていました。
 このようにウッドデッキは、日々の生活にプラスαの潤いを与えてくれる役割もしています。
設計担当:有限会社みゆき設計 吉川みゆき
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