美しい日本の住まい
構え (後編)
「世間に対する構え」
 野平洋次
 お正月をまたいで冬休みをもらった。この休みに北陸トンネルを抜けて金沢を訪れる機会があった。きれいに雪吊りをした樹木にこの土地の季節と自然との付き合い方を感じた。そして金沢建築館に再現された谷口吉郎設計の迎賓館赤坂離宮和風別館「游心亭」の広間と茶室でプロポーションの美しさに触れた。
 近代数寄屋の巨匠、吉田五十八の作品もまた各地で保存されている。美しい日本の住まいを具現化したものとして、観賞価値のある建物だ。まず立ち姿が美しい。洗練された構えから匂い立つ日本の風景がある。
 新潟県上越市に日本画家小林古径(1883〜1957)の住まいが移築されている。1934年に吉田五十八が設計し、宮大工岡倉仁三が施工したものだ。東京都大田区から、小林の故郷上越市に2002年移築された。
 家の構えは玄関を正面において対面するとわかる。3つの棟に分かれた切り妻屋根の妻側が見える。その表情はそれぞれ異なる。一番奥の2階の妻壁は真壁、真ん中の妻壁には塗込め窓に庇、そして玄関のある手前の妻壁は大壁で障子が見える。玄関庇は一文字瓦で葺かれ手招きをしているようだ。この構えから家の間取りまでもが想像できる。品格を漂わせながらも親しみのある構えは竣工時のままである。
 このような家の構えを見る事が少なくなった。現代の東京の街歩きをしてみる。家の構えを見たくても、路地や小路に密着した家ばかりで家の全景をみたくても見えない。ドローンでも持ち出さない限りは、家の構えを見渡す視界は開けない。
 広い屋敷が少なくなった。かつては広々とした1軒の御屋敷だったであろう敷地が、数軒が軒を並べる建て売り住宅となっているのが目につく。都心だとそれでも数千万円もする豪邸である。庭が狭いのと窓からの視界が開けないのが玉に傷で「狭小邸宅」と揶揄する人もいる。門構えと言うほどのものはなく、直接街とつながっている住居というのがコンセプトだ。
 つまり構えて住む家ではない。大都市の中で行儀よく並んで住処を確保し、都会の中に溶け込んだ暮らしがある。プライバシー確保のため住まいは閉鎖的となり、外部を遮断する構えしか見せなくなってしまっている。
 一方、構えない暮らしというのもある。住居からの溢れ出しを許容する路地、隣との境をみえなくした共用敷地、そして集合住宅などお互いお構いなしの住居がある。
 このように住まいの構えは住人の世間に対する構えを意味する。何の頓着もなくお仕着せの住居に住んでいたとしても、住いの構えは街行く人との関わり方を示すメッセージとなる。物干しひとつにしても社会に対する家人の心構えが現れるか。
 構えは庭のある家に特有のもの、日本家屋の特徴と言えるのだろうか。
 「これからの住宅を考える」ということで、若者達が日本家屋の将来について討論した場面に立ち会った。
 「伝統的日本家屋のすばらしいのはわかるけど、それは晴れ着のようなもので、とても日常的な住まいとはなりません。」
 「住まいは自分が死ぬまでの住処でよくて、後世に残る立派な建物にしなくてもいいのでは。」
 「浴衣のように何度も仕立て直しができる、持続して使えるのが木造ではないですか。」
 このような議論は、日本列島の気候風土と文化から生まれた「真の日本の住まいとは何か」と問い続け、時代に即した日本家屋を求め続ける、ということでは意味があることだと思う。

(Copyright © 2020 野平洋次)

「世間に対する構え」
HAN環境・建築設計事務所 松田 毅紀
正しい家づくり研究会会員の設計した
-----「欅ハウス-環境共生型共同住宅」-----
 「欅ハウス」は相続によって切り売りされた地主宅の一角に建てられた15戸の環境共生型のコーポラティブ共同住宅です。道路に面したエントランスには、地主宅の長屋門で使われていた木製の扉を再使用する事により、土地の記憶を継承するとともに街に対しての構えとなっています。
共用エントランスを抜けると、館名となっている樹齢約200年の大ケヤキをシンボルとした中庭に入ります。
設計担当:HAN環境・建築設計事務所 松田 毅紀
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